美男子は得だなー、と思うことがある。
例えば、ここのところ急に人気が高まっているらしい白洲次郎。確かにストーリー性に富む興味深い人物ではあるが、もしあの人の顔立ちが、かの松本清張の如くであったら今ほどの人気を勝ち得ただろうか? と思うのである。
あるいは、石川啄木。泣きながら蟹と遊ぶ、という衝撃的コンセプトを打ち出したことで有名だ。若くして結核で亡くなったこともあり、悲劇の天才歌人というイメージがつきまとう。
我々の知る啄木とはこういう姿形の人物であろう。
こういう甘い顔立ちで、「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」などという歌を残すから、悲劇の天才歌人という印象が強化される。これがもしですよ、
という具合だったら、今のような形で名を残したであろうか(おそらく、別の形で大いに名を残したではあろうが)。
まあ、顔も実力のうちということか。
美男子であることが、生前に得なのかどうかはよくわからない。モテてよいのかもしらんが、いろいろと面倒もありそうだ。「うまく利用すれば」というところだろうか。
しかし、死後、美男子であることはプラスに働くと思う。何しろ、本人はもう参っちゃってるんだから、後は生きている人の中で、勝手に美しく生きていける。
空に吸われし十五の心。
えらい違いである*1。