パーティー

 献金がどうの、政治団体によるパーティーがどうの、というニュースが出ているようだ。

 圧倒的な実力の不足により、例によってわたしには特に意見がない。我が胸に去来するのは、くだらない思いつきばかりである。

 日本では、政治家、政治団体の集金手段としてパーティーがよく利用されているようだが、欧米でもそうなのだろうか。もしそうなら、英語圏では、政党主催のパーティーのことを「パーティー・バイ・ザ・パーティー」と呼ぶのか。

 実にどうでもよいことですね。

 わたしの話になってしまうが(というか、いつもわたしの話しかしないのだが)、どうもあのパーティーというやつが苦手だ。特に立食形式のやつ。立って、ワイングラスか何か手にしながら、所在なげな心持ちになる。生まれてすぐ雨の中に放り出されたひな鳥ような気分を味わう。自分を守りたくなるのだろう、つい腕組みなんぞしてしまう。

 特に知らない人だらけのパーティーだと困る。初対面の人と話すのが苦手なので、つい数少ない知り合いとばかり話してしまう。相手も同じような心持ちなのか、得てしてお互いにすがりつくような感じで、一緒にいる羽目になる(しかも、話題が途切れて気まずい時間が続いたりする)。

 ああいうパーティーを苦にするかどうかというのは、もちろん、性格・人となりにもよるのだろうが、一方でガキの時分から見てきた風景・体験にもよるのだろう。日本では、社会人になるまでパーティーなんてほとんど出席したことのない人が、大半なんではないか。パーティー的な社交術を身に着ける機会はなかなかないように思う。

 アメリカの映画を見ると、十代の少年少女がパーティーに出るシーンがよくある。ひとつのハイライトなのだろう。意中の女の子を誘うのにドキドキしたり、「誰もあたしを誘ってくれないの!」と女の子が自暴自棄になってドレスを引き裂いたりする。まあ、あれでみんながみんなパーティーが得意になるわけでもなかろうが、早いうちに体験することによる慣れくらいはあるんじゃないか。

 我が国においてパーティーに当たる伝統的な社交の場は、宴会であろう。宴会のほうがわたしは気楽で好きだ。所在なげな心持ちを味わわないで済む。そういう人は結構多いんじゃないかと思う。

 もしそうなら、政治家も資金集めをするなら、パーティーではなく、宴会を開いたらどうか。もちろん、全員、畳に座るのだ(できれば浴衣で)。一応、主催者の挨拶があって、乾杯して、だんだん座が乱れてきて、来賓の挨拶に「ヨッ!」なんて声がかかって、ビールを注いで回るお調子者が出てきて、「イヤイヤ社長」、「ところでね、ダムの件だが」、「あはは。まあ、おまかせください」、「そうかね、頼りにしとるよ」、ほどよいところで「どうもー」などとコンパニオン達が入ってきて、後は知らん。

 あ、宴会はがっつり飲みに入るからまずいのか。「私は今日はこれで」と中座しにくいし。

 今度、女の子を誘ってみようかな。
「ねえ、今度、自民党津島派のパーティーがあるんだけど、行かない?」