ハエと白鳥

 何日か前に、朝日新聞が「白鳥も君も同じ命なのに」という社説を載せていた。


→ asahi.com - 朝日新聞社説「こどもの日に―白鳥も君も同じ命なのに」


 朝日新聞は、時折、この手の異様にセンチメンタルな論説を載せることがある。


 まあ、それはいいのだが、これを書いた人、書いている最中に身のまわりをハエがぶんぶん五月蠅く(素晴らしい表現だ)飛び回ったら、どうしたろうか。いささか、困った心持ちになったんではないか。いや、知らんけど。


 わたしも、ハクチョウが撲殺されたと聞くと、イヤーな心持ちになる。
 一方で、ハエハエカカカ・キンチョールには、あまり抵抗がない。


 ハクチョウはNGで、ハエハエカカカがオッケーな理由は何だろうか。


 思いつくままに書くと、ハクチョウは、


・デカい
・食わない
・害がない


 それでもって、一番大きいのは、


・擬人化しやすい


 と、そんなところだろうか。


 まあ、こういう話というのは、リクツに走ると極論になりがちで、極論というのは過激なほうへ行ってしまいやすい。
 例えば、女性のアバラ骨方面の問題を根本的に解決するにはどうしたらよいか? と考えていくと、男が全員性転換すればよい、という結論に至ったりしてしまう。


 この手の話については、リクツはあんまりアテにならない。
 といって、感情に流れすぎるとまた、ヒステリックになっていかんのだけれども。


 弱ったな。


 ハクチョウが撲殺されたと聞くとなぜイヤーな心持ちになるのか、自分の井戸を覗いてみると、ひとつにはグロテスクなことを想像したくない、というのがある。「オイ、ヤメテクレ。変ナ光景ヲ想像サセルナ」という具合だ。
 ハクチョウは擬人化しやすいから、その光景の先には、ヤラレタ自分の姿がある。


 相変わらず身勝手な言い草で、申し訳ない。


 もうひとつは、一方で、何かを虐待する嗜虐的なヨロコビを、実はどこかで知っている気もする。
 自分のそういう部分を直視するのがコワいので、フタを閉じるために、「ヤメロ。ンなことすんな」と、言う。のかもしれない。のかな。


 ガキの時分は、キリギリスの足をひきちぎって川に放り込んだり(水棲のキリギリスに進化すると思ったのだ。馬鹿が中途半端にリクツを知るとロクなことをしない)、アリの巣穴に小便をひっかけて、大混乱するアリどもをウヒウヒ眺めていたからなあ。


 まあ、こういう話というのは、あまり生命がどうの、と説得してかかると、墓穴を掘るように思います。ガキどもには、慣れない程度に気持ち悪さを覚えさせる、ということなのか。よくわからない。

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「今日の嘘八百」


嘘七百三十二 話題沸騰の後、すぐに話題が蒸発してしまいました。