「暗黙知」と書くと、何やら高尚な話のように見える。「日本企業の内部における意思決定のプロセスは暗黙知に依存する部分が大きく〜」か何かよく知らないが、そんなような話。
しかし、もちろんわたしに書けるのはそんな立派な話ではなくて、「ナニ」についてである。ナニの類の言い回しをなにと呼べばいいのかわからなかったので、とりあえず「暗黙知」という立派な言葉を引っ張り出してみて、ナニしたわけである。
「まあ、おれっちもナニだからよ、例のやつをちょいとナニすればナニなんだが、まあ、それもナニだからとりあえずナニしとくか、というんでナニしたわけだけど、え、どうだい、ナニのほうは?」
「ああ、すっかり片づいた」
とまあ、これで会話が成立する場合もあるわけだ。もっとも、先のほうは選挙の買収の話をしており、後のほうは物置の整理の話をしている可能性もあるので、正しくコミュニケーションが成立したかどうかはわからない。
「ナニ」が何を指すかがわかるのは、主に文脈を読むからである。ただ、下卑た話で申し訳ないが、「男のナニ」というとたいていナニのことを指すとわかるのはどういうことなのだろう。「男の」と聞いた途端、我々の頭の中には「どうせしょうもない、助平な話だろう」と予測が立つのだろうか。
「ナニ」に似て、日常会話でもっとよく使われる言い回しに「アレ」がある。
「山本君、アレやっといた?」
「あ、課長、終わりました」
などという会話が、会社ではよく交わされるらしい。
夫婦間、特に何十年と一緒にいる夫婦の間では、この手の会話がひんぱんに交わされる。
「おい、アレ」
「はい」
と、妻が夫に煙草を手渡す――なんていうのが昔の日本映画でよく描かれた夫婦像である。ただし、夫唱婦随なんていうのは今はあんまり流行らないから、
「おい、アレ」
「ほらよ」
というのが実際に近いかもしれない。
わたしの父母は夫婦になってかれこれ四十年以上だが、
「おい、アレ」
「アレじゃわからん」
という会話をよく交わしている。長年連れ添っていれば以心伝心になる、というわけでもないようだ。