お・ご・み

 丁寧な言い回しをするときの表現に、言葉に「お」「ご」「み」を付けるというのがある。

 どのくらい付けるかというのは、もちろん、人や会話、文章によってまちまちで、いい具合になるときもあれば、何だか妙な具合になるときもある。

 例えば、

おご飯

 という言い方をする人があるらしい。「飯」に「ご」が付いている状態が当たり前になってしまって、もはや丁寧な感じがない。そこで「お」を付けてしまうわけだが、うーん、わたしの語感ではちょっと過剰ぎなふうに思う。もちろん、誰がどういう状況で言うかにもよるのだが(同じ主食でも、「おパン」という言い方は相当に変な感じがする。なぜだろう?)。

「ご」が付いている状態が当たり前になってしまった例では、

ご不浄

 がある。年のいった上品なご婦人が「ご不浄はあちらです」などと言うのはなかなかによい感じがする。これはやはり「ご不浄」でなければならないのであって、「不浄」と言い放つと、嫌なものから目を背けるようで、それこそ不浄なふうだ。かといって「おご不浄」は変である。「ご不浄」は、今、いい具合に収まっているのだろう。

「お」「ご」「み」のダブルパンチの例には、

おみ足

 がある。これまた上品なふうがあって、よい語感だ。もっとも、口にする人を選ぶ言葉であり、それなりの気品が要求される。わたくしなんぞが平気で使ってよい表現ではない。もし使ったら、それは「おみ足」という言葉に対する侮辱というものだ。

 この手のチャンピオンは何といっても「おみおつけ」であって、漢字で書くと、

御御御付け

 である。嘘だと思うなら辞書を引いてみていただきたい。「お」「ご」「み」のトリプル・クロスカウンター。いったいまあ、何でこんなことになってしまったのだろう。味噌汁を「おつけ」という言い方はあるが(落語によく出てくる)、「おご飯」の如く、「みおつけ」となった段階もあったのか。

 ――と思って調べてみたら、「おみ」という丁寧・尊敬の言い回しがあるのだそうだ。「大御(おほみ)」の転で、昔は神や天皇に対してしか用いなかったとか。丁寧・尊敬のインフレで、下のほうまで降りてきたらしい。

「おみ」で一語だとすると、「御御御付け」は「おみ・お・つけ」であって、重複度では「お・ご・飯」と変わらない。なあんだ、がっかりだよ。