ご案内の通り、ニュースというのはだいたい最も衝撃的な部分に焦点を当てる。異変を知らせるのがニュースの大きな役割だからだし、また衝撃的なことは人を引きつけるから商売方面から圧力がかかってもいる。
しかし、そこから引いて見るとどうなのだろう、ということをおれはよく考える。
ビルが激しく倒れ込んでいる。まわりは瓦礫の山だ。この街はもう壊滅状態なのだろうと思わせる。
しかし、引いて見るとこんな具合だ。
少なくとも大きく倒れているのはこのビルだけである。このビルで死者や重傷者が出ているし、それはもちろん大変なことなのだけど、街全体はそれほど被害を受けたようには見えない。
ニュースはたいがい派手な(言い方は悪いが人の興味を惹く)ものに焦点を当て、実際のところ、全体としてはどうなのか、ということがなかなか伝わらない。
もう二十年以上前になるが、同じく台湾で大きな地震が起きたことがあった。ニュースには倒壊した台北のホテルの映像が映っていた。当時、おれの妹がちょうど台北に住んでいて、連絡もとれず、随分と心配した。しかし、1日かそこらして電話がつながると、妹は「なんかあったの?」くらいの呑気さだった。どうも台北で倒れたのはそのビルだけだったらしい(台中あたりは大変な被害だったそうだが)。
どうもニュースも、人間も、大変なところにばかり目が行って、しかもそれが判断の基準になりがちだ。心理学では代表性ヒューリスティックというらしい。たまたま会ったアメリカ人のおばさんが親切だと、「アメリカ人は親切だ」と判断してしまうような心の動きである(もちろん、アメリカ人には親切な人もそうでない人もいる)。
このコロナ騒ぎでニュースやSNSでわあわあやっているのを見ると、代表性ヒューリスティックが随分と作用しているなあと感じる。極端に悪いところ、極端に希望が持てるところにばかり注目してしまうのだ。ハテ、引いて見るとどうなのか。