昨日も書いたように、今、文章の書き方についていろいろと調べている。
文章の書き方についてのさまざまな意見を読むと、新鮮な発見もあり、楽しくもある。
例えば、主語の位置の問題がある。
ご案内の通り、日本語の文では主語が登場しない場合が多い。
人間、辛抱だと思う。
といった具合だ。
この文は「私は」を省いていると解釈できる。では、「私は」を入れるとしたら、どこに入れるか。
さらりと読めるのは、
人間、辛抱だと私は思う。
だろう。
しかし、
私は、人間、辛抱だと思う。
でも、文法上、間違いはない。
きちんと統計をとってみたわけではないが、古い、名文とされる文には「人間、辛抱だと私は思う。」のスタイルが多いようだ。
一方で、最近の普通の人が書く文は、「私は、人間、辛抱だと思う。」とする傾向が強いように思う。
ただし、「主語は述語の直前に置くベシ」と説く文章論もあるが、おそらく、見当違いだろう。それは、「私は」に修飾節を付けて長くしてみればわかる。
人間、辛抱だと、過去三十年間に渡って肩凝りと胃痛に悩まされてきた私は思う。
過去三十年間に渡って肩凝りと胃痛に悩まされてきた私は、人間、辛抱だと思う。
後者のほうが(少なくともわたしは)こなれているように感じる。
どうやら、ポイントは「主語の位置をどこにするか」ではなく、「長い節を前に持ってきたほうが読みやすい」ということであるらしい。主語か目的語かというようなことは、本質的な問題ではないようだ。
――「らしい」、「ようだ」と曖昧な言い方を続けて申し訳ない。不勉強で、まだ言い切れるところまで行ってないのよね。