翻訳の難しさ

 昨日、少々翻訳について書いた。
 なぜわたしが翻訳のことをちょぼちょぼ考えるようになったかというと、この頃、ちょっと伝統芸能に接するようになったからだ。


 例えば、落語に「へっつい幽霊」というのがある。へっついから毎夜毎夜幽霊が出てきて大騒ぎ、という噺なのだが、そもそも、へっついというのが、今はなかなかわからない。


 へっついとは、かまど(竈)のこと。
 といっても、今は、かまど自体、使っている家はほとんどないだろう。


 こういうものである。



かまど(竈 - Wikipediaより)


 時代劇で、よく、けなげな娘がふーふーやっているヤツですね。

 
 今は「へっついから幽霊が出てきて〜」と言われても、頭の中でイメージしにくい。


 かといって、「ガスコンロ幽霊」とか、「IHクッキングヒーター幽霊」とか、安直に現代のものに置き換えると、ぶちこわしになってしまう。
「かまど幽霊」ですら、今ひとつである。やはり、「へっつい」という語感、どこか間の抜けた音の響きがいいのであって、ここらが古い物を現代でやるときの難しさだと思う。


 古典というのは古典だけあって――つまり、長い間、多くの人に愛されてきただけあって、結構なものが多い。
 一方で、言葉・風俗は時代にしたがって変わっていくから、だんだんとわからないこと、イメージしにくいものが増えてくる。


 落語はまだ演者の裁量で作り直しがしやすいが、しっかりした台本があり、その言葉遣い自体に味わいがあるものは、なかなか直しにくい。
 どの程度の翻訳、改作がいいのかなあ、と、時々、考える。