花と実

 古今亭志ん朝によると、ご婦人方というのはある時期になると、パーッと花が咲いたように美しくなる。


 子どもの頃は将来を気の毒がられるふうだった女の子が、年頃になってくると、え、これが、というくらいに美しくなる。


 ただ、惜しむらくは、この花の時期が短い。


 えー、わたしが言ってるわけではなくて、あくまで古今亭志ん朝の見解なので、ご婦人方は誤解なきよう。わたしも同感だが。あわわわわ。


 花のたとえをそのまま使うと、ご婦人はある頃に花が咲く。美しい。目に映える。
 そうすると、天然自然の理によってどこぞの虫が寄ってくる。いろいろあって、いろいろ起きて、いろいろになって、これまた天然自然の理によって実ができる、と、こういうことのようだ。


 そうやって、人類は子々孫々つながっていくわけであります。ハイ。


 今のは、実=子どもという話だが、別のたとえにすることもできる。


 ご婦人方の中には、未練なのか、研鑽なのか、一種の修験道なのか、花の時期を延ばそうとかかる向きもある。


 無駄な抵抗はよしなさい、などと言うと、めちゃくちゃ怒られそうだが、まあ、なかなかの難事業のように思う。


 一方で、別に若作り(「作り」という言葉がついている時点ですでにムリを感じる)というわけではなく、ああ、いいなあ、この人の雰囲気は、と感じるご婦人もいる。
 話していても、あるいはちょっとした仕草、振る舞いなんかも、快い。


 中年の女性にも、老年の女性にもいる。


 会うと、いいふうに実を結んだんだなあ、と思う。


 今日は軽いエッセイ風にまとめてみました。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘七百二十六 年をとると、化粧もだんだん左官仕事に近くなって参ります。