モノマネ論〜続

 動物の擬態というのは、あれはモノマネではないか、と思う。


 場所に合わせて色を変えるカメレオンは有名だ。カマキリやある種のキリギリスは草の葉に似る。アンコウのように、海底の砂や石に見せかけて小魚を補食するのもいる。


 どうしてそういうふうに進化したのか考えると、実に不思議で、適者生存だけでそんなふうになるものだろうか、と思う。


 何百万年か何千万年か、あるいは億の単位をかけて磨き抜かれたモノマネ芸。カマキリは草の葉をモノマネし、アンコウは海底の砂や石をモノマネし、コノハチョウは木の葉をモノマネする。
 芸は子々孫々伝えられ、時にはある代で芸境が著しく進む場合もある。


 一昨日、人がモノマネをする理由は、からかう、ウケを狙う、学ぶ、だます、の4つだと書いた。


 動物の擬態の理由は、まあ、最後のだます、というのが妥当な線だろう。捕食者から隠れる、あるいはエサに気づかれないようにする。


 しかし、あれは実はからかっているのだ、ウケを狙っているのだ、と考えてみるほうがずっと面白い。


 カメレオンがわかりやすい例で、だいたい、あの両方別々に動く目や飛び出す舌からして、全身、冗談のかたまりとしか思えない。


 トカゲの同族達からは、「ケッ。調子に乗りやがってよ」といささか爪弾きの目にあっているのではなかろうか。ピエロは心で泣いても、顔では笑う。芸人の哀しいところである。


 キリギリスは食おうとする連中を草のモノマネしてからかい、コノハチョウは「あんた達って、こんな感じぃ〜」と木の葉をからかっている。
 ウン万年だかウン億年だかの進化を背負って、食うか食われるか命懸けでからかってるんだから、とても人間なんぞの芸の及ぶところではない。


 しかしですね。アタシは思うんだが、擬態というのはアレは学ぼうとしているのだ、と考えるのが一番深いんじゃないか。


 シャクトリムシは枝の形をモノマネしながら枝から何事かを学ぼうとしており、アンコウは海の底と一体となることによって地球の秘密に迫ろうとしている。カマキリは草の葉をモノマネすることで、草にあって自分には足りないものとは何か見極めようとしている。


 深い。進化とは修養なのである。嘘なのである。

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「今日の嘘八百」


嘘七百二十五 ホントはあいつら暇なだけだ。