人に自分のモノマネをされると、イヤなものだ。
モノマネをする人は、だいたい、自分の美質(そんなものあれば、だが)をマネしてはくれず、欠点や、クセの強いところを、しばしば誇張してマネをする。
自分のイヤな部分を見せつけられている気がして、それでイヤになるのだろう。また、どこか笑われているという感覚もつきまとう。
マネをしているほうは親しみを込めているつもりでも、マネされているほうはしばしば馬鹿にされていると感じるから、要注意である。
ここいらの機微は、セクハラにも通じる。
例の、いっこうアテにならない霊感によるのだが、モノマネをする理由というのは、からかう、ウケを狙う、学ぶ、だます、の4つだと思う。
このうち、からかうとウケを狙うは近い。
プロのモノマネ芸はこの2つだろう。なぜか他の人間とそっくりのことをやると、人は面白く感じる。理由はよくわからない。体を使った駄洒落みたいなことなのだろうか。
学ぶ、というのは、赤ちゃんを見ていればわかる。
言葉を覚える、というのは、モノマネ以外の何物でもない。
一所懸命、アウアウ言ってる赤ちゃんを見ると、言葉の意味をつかんでいるとは思えない。ただひたすらにモノマネをしたいのだと思う。
そうして、モノマネが一応はアウアウを超えた音となり(芸が一段階進んだわけだ)、まわりの大人の反応などから、ビビビッと頭の中で音と意味の回路がつながったとき、人は言葉という、もの凄いものを覚えるのだ。
文化というものだって、これはやはり、モノマネなしでは成り立たない。
映画「2001年宇宙の旅」で、冒頭、猿人のひとり(一匹と呼ぶほうがふさわしい感じがする)が骨を道具として使うことを発見する。
たちまち、仲間中に広まって、獲物を倒し、別の猿人集団を駆逐するに至るのだが、ああいうのも、やはり、モノマネなしでは広がることがなかったろうと思う。
火の使用、言葉、道具、農耕、漁猟、狩猟、牧畜、工作、踊り、歌、祭、あるいはお金の使用なんていうのもそうだろうが、いずれもモノマネなしでは、個人の思いつきで終わっていたんではないか。
そう考えると、人間のモノマネ本能というのは、実に偉大なものだと思う。
最後の、だます、というのは、なりすます、ということですね。
詐欺なんかの手口としても使われるが、あるいは、化粧や衣装、なんていうのも、なりすますという意味では、モノマネである。ファッションとはモノマネである、と、こう言い切ってかまわないように思う。
すでに逃げられないところまで持ち込まれてから、化粧を落とした相手の顔を見て、「しまった。だまされた!」と思った経験のある男性諸氏も少なくないと思う。
あ、ここいらの機微も、セクハラに通じるか。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘七百二十四 知り合いの仙人が、白髪三千丈が重たくて身動きとれない、とボヤいていました。