落語とは、ひと口にいって「人間の業の肯定を前提とする一人芸である」といえる。
とは、立川談志「あなたも落語家になれる 『現代落語論』其二」の冒頭の弁。
- 作者: 立川談志
- 出版社/メーカー: 三一書房
- 発売日: 1985/03/25
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
「人間の業の肯定を前提とする一人芸」とは、大げさでコムズカしい書き方だけれども、わざとそうしているのだと思う。落語をナメンナヨ、という意気と、まずは大きく出て驚かす、という計算だろう。たぶん、おそらく、知らんケド。
立川談志は、人間というのはどうにもしょうがないところだらけで、それを笑うことで認めてあげる、それが落語だ、と言いたいのだと思う。
ンー、わたし程度の腕じゃ、言葉で説明してもどうも面白くない。今回は、実例を挙げていく。
取り上げるテーマは、人間のしょうがなさの中でも大関・横綱クラスのしょうがなさ、「女好き」。
まずは、戦後の名人とされた八代目桂文楽「明烏(あけがらす)」のマクラより(クリックすると、音声を聞けます)。
- アーティスト: 桂文楽(八代目)
- 出版社/メーカー: ポリドール
- 発売日: 1999/10/01
- メディア: CD
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
端正な語り口で、ま、ここだけ取り出せば面白いというほどでもない。
同じく戦後の名人、というより、亡くなって三十数年、いまだにCDが売れ続けている凄い人、五代目古今亭志ん生だと、同じようなことを語るのでも、こんなふうにやっている。
- アーティスト: 古今亭志ん生(五代目)
- 出版社/メーカー: 日本伝統文化振興財団
- 発売日: 2001/03/21
- メディア: CD
- この商品を含むブログ (1件) を見る
「女はぁ〜」と、口調で表現するだらしなさ、しょうがなさ。楽しい。
やり口はいろいろあって、志ん生師匠だと、わたしはこんなのが好きだ。
- アーティスト: 古今亭志ん生(五代目)
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2001/01/20
- メディア: CD
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
こんなのもある。「井戸の茶碗」という噺で、紙くず屋の清兵衛さんに裏長屋から声がかかる――。
自分を道具にして、「女好き」のしょうがなさを笑っている。道化(自虐ではない)の手法である。
ま、そんなふうにして、落語は人間のしょうがなさを語るわけだけれども、変に深刻方面へと行かないところが、私は好きだ。
こんなところに例として出すのもちょっとアレだけれども、太宰 治なんかになると、いきなり「人間失格!」などと言い出して、そのまま玉川上水に飛び込んでしまう。
それはそれで結構だけれども、いささかシンドい。第一、危ない。
どうも、世の中、ガンバレ、ガンバレ、という類の物言いが多すぎるように思う。
そのあげくに、ガンバってうまく行かなかった人は行き場がなくなってしまう。
人間っていうのはしょうがないもんだからガンバって何とかしろ、とも、しょうがないもんだからしょうがないまんまでいろ、とも、落語は言わない。
しょうがなさをただ笑っている。そうして、少し楽にする。
そんなところが気に入っている。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘六百十五 わらしべ長者はガンバったから長者になれた。