しょうがなさを笑う


 落語とは、ひと口にいって「人間の業の肯定を前提とする一人芸である」といえる。


 とは、立川談志「あなたも落語家になれる 『現代落語論』其二」の冒頭の弁。


あなたも落語家になれる―現代落語論其2

あなたも落語家になれる―現代落語論其2


「人間の業の肯定を前提とする一人芸」とは、大げさでコムズカしい書き方だけれども、わざとそうしているのだと思う。落語をナメンナヨ、という意気と、まずは大きく出て驚かす、という計算だろう。たぶん、おそらく、知らんケド。


 立川談志は、人間というのはどうにもしょうがないところだらけで、それを笑うことで認めてあげる、それが落語だ、と言いたいのだと思う。


 ンー、わたし程度の腕じゃ、言葉で説明してもどうも面白くない。今回は、実例を挙げていく。


 取り上げるテーマは、人間のしょうがなさの中でも大関横綱クラスのしょうがなさ、「女好き」。


 まずは、戦後の名人とされた八代目桂文楽明烏(あけがらす)」のマクラより(クリックすると、音声を聞けます)。


「明烏」桂文楽


NHK落語名人選 八代目 桂文楽 明烏・心眼

NHK落語名人選 八代目 桂文楽 明烏・心眼


 端正な語り口で、ま、ここだけ取り出せば面白いというほどでもない。


 同じく戦後の名人、というより、亡くなって三十数年、いまだにCDが売れ続けている凄い人、五代目古今亭志ん生だと、同じようなことを語るのでも、こんなふうにやっている。


「唐茄子屋政談」古今亭志ん生



「女はぁ〜」と、口調で表現するだらしなさ、しょうがなさ。楽しい。


 やり口はいろいろあって、志ん生師匠だと、わたしはこんなのが好きだ。


「文違い」古今亭志ん生


五代目古今亭志ん生落語ベスト集(ライヴ録音)

五代目古今亭志ん生落語ベスト集(ライヴ録音)


 こんなのもある。「井戸の茶碗」という噺で、紙くず屋の清兵衛さんに裏長屋から声がかかる――。


「井戸の茶碗」古今亭志ん生


ザ・ベリー・ベスト・オブ 志ん生vol.10より)


 自分を道具にして、「女好き」のしょうがなさを笑っている。道化(自虐ではない)の手法である。


 ま、そんなふうにして、落語は人間のしょうがなさを語るわけだけれども、変に深刻方面へと行かないところが、私は好きだ。


 こんなところに例として出すのもちょっとアレだけれども、太宰 治なんかになると、いきなり「人間失格!」などと言い出して、そのまま玉川上水に飛び込んでしまう。
 それはそれで結構だけれども、いささかシンドい。第一、危ない。


 どうも、世の中、ガンバレ、ガンバレ、という類の物言いが多すぎるように思う。
 そのあげくに、ガンバってうまく行かなかった人は行き場がなくなってしまう。


 人間っていうのはしょうがないもんだからガンバって何とかしろ、とも、しょうがないもんだからしょうがないまんまでいろ、とも、落語は言わない。
 しょうがなさをただ笑っている。そうして、少し楽にする。
 そんなところが気に入っている。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘六百十五 わらしべ長者はガンバったから長者になれた。