二日酔い

 昨日は二日酔いで一日ヘバっていた。


 前日、夜中まで飲んでいて、タクシーで帰ったのは覚えているのだが、細かいところは覚えていない。


 朝、といっても9時頃だが、ゴミ収集車の音で目が覚めた。


 うちのあたりに来るゴミ収集車は実にうるさく、区の女性職員が吹き込んでいるのだろう、拡声器から、「運転手さん! 運転するときは道路脇をお年寄りや子どもが歩いていないか、よく注意して運転しましょう!」とか、「空き巣の被害が増えています。出かけるときはお隣やご近所にひと声かけて出かけましょう!」とか、小学生の全校集会のような調子で語りかける。


 マンション暮らしでいちいち隣近所にひと声かけていられるか、隣に空き巣の人が住んでたらどうするのだ、などと、聞いていて実に腹立たしい。特に、起き抜けの気分の悪いときには、殺意すら覚える。


 が、まあ、起きたときには頭が痛いくらいで、まだ二日酔いとは気づいていなかった。


 これが二日酔いの不思議なところのひとつで、最初はあまり大したことがない。
 ところが、起きて、着替えて、30分くらいすると、ひどく気分が悪くなる。頭が痛くなり、変な汗をかき、全身の細胞が泡立つような、何とも言えない不快感に襲われる。


 油断させておいて、1日を始めるような態勢に持っていってから、いきなり調子を悪くする、という二日酔い側の作戦ではないかと思う。わたしは見事にひっかかり、おびき出された。


 あ、こらいかん、と気づいた瞬間、座っているのもシンドくなった。
 特に昨日のは頭痛がひどかった。諦めて、バファリンを飲み、ベッドに戻った。


 辛いよー、痛いよー、と横になって目をつぶる。この苦しみから救ってくれるのは、眠りだけである。


 30分ばかりベッドで白目を剥いているうちに、どうやら眠ったらしい。2、3時間して目を覚ますと、頭はまだ痛いが、頭痛薬が効いたのか、痛みの芯だけが残っているような感じである。


 仕事しなければ、と起きてみると、どうにかなりそうな感じである。着替えて、パソコンの前に座った。
 ぼーっとした頭で、パソコンが立ち上がる画面を見ていると、また変になってきた。細胞単位で気分が悪くなってくる。


 うー、と、パソコンを終了してベッドに戻る。イヤな汗をかき、震えながら、再び眠りの世界が訪れるのを祈る。


 そんなことを2、3回繰り返したろうか。寝ては置き、パソコンを立ち上げ、気分が悪くなり、パソコンを終了し、ベッドに戻る。何も進まず、ただ時間だけが経っていく。


 二日酔いの正体というのは、アインシュタインニュートンアルキメデスガリレオ・ガリレイと田中さんの手によってすでに解明されていて、アセトアルデヒドという物質である。飲み過ぎると、体の中でこやつが合成され、暴れ回るらしい。


 しかし、こやつを退治する方法というのはいまだ開発されていない。
 もし、一発でアセトアルデヒドを消し去る薬を発明したら、全世界から、愛と感謝状とひとり三千円通しの御礼が送られてくるに違いない。


 あるいは拷問に使ったらどうだろうか。
 頭から井戸に落としては引き上げるとか、ムチでしばくなどという面倒くさいことをしなくても、アセトアルデヒドを注射して二日酔いにしておくだけで、たいていの人間は参ってしまうのではないか。
 わたしなら、国家機密でも、次の軍事目標でも、潜入中の囮捜査官の名前でも、今日のラッキーカラーでも、何でも白状するだろう。


 などと、ベッドの中で、しょうもないことを考えては、さらに気分が悪くなる、ということを繰り返した。


 夜になるといくらかマシになった。この、「夜になると直る」というのも、また二日酔いの意地悪いところである。そのせいで、つい、二日酔いのオソロシサを軽視してしまうのだ。


 1時間ほど仕事してみたが、やる気というものが二十億光年の彼方に去っており、当然、全然はかどらず、「ああ、もう、今日は仕事にならない。明日、回復してからやったほうがいい仕事になる」と自分で自分に言い訳して(悪い癖だ)ベッドに戻ることにした。


 横になると、もう具合は悪くない。ただ気だるいだけである。
 本を読みながら、小学校の頃の、風邪で学校を休んで寝ているときの、だるさと不思議な平穏などを思い出しつつ、ただ漂っているうちに、1日が終わった。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘六百十四 二日酔いを打破できるものは、世界の民衆との団結だけである。