昨日、打合せ先に少し早く着いたのでブラブラしていたら、ある和食の店の前に花輪が飾ってあった。「祝・ミシュラン二つ星」と書いてあった。
一度、人に連れていってもらったことのある店で、なかなか雰囲気のいいところだったが、花輪を見て、下品だなあ、と思った。台無しであろう。
まあ、店としては、宣伝にもなるし、義理あるところからもらった花輪なら飾らざるを得なかったのかもしれない。そこらの事情はもちろん、わからない。しかし、下品である。
ミシュランガイドの東京版がよく売れているようで、近くの書店には「売り切れています。入荷時期は未定です」というような案内が出ていた。
しかし、あれ、あんまり星の数がどう、というのを、大まじめに取り上げるのもどうかと思うのよね。
ミシュランガイドは、元々は旅行先でレストランを選ぶために発行されたのだと聞いている。全然知らない町なら、レストランガイドとして便利だろう。
また、東京くらい大きな都市になると、在住者にとっても普段あまり行かない街は知らない場所同然だ。
ああいうガイドは店を選ぶときの参考にするのにはいいんだろうが、あの店は星がいくつだった、なんていう話をするのはくだらない、と思う。
例えば、オーケストラにどこかの出版社が星をつけて評価した本を出したとする。
良心的なオーケストラ音楽のファンは怒るか、呆れるか、馬鹿にするだろう。
それぞれのオーケストラにはそれぞれのオーケストラの志向と音色とクセと来歴があるからで、それは星の数で表せるようなものではない。
別にオーケストラに限らず、ポップスのバンドでも、美術館でも、映画監督でも、劇団でも、芸人でも、小説家についてでもいい。誰かが星を付けて、それで比較できるものではない。
まあ、ポップスのほうにはヒットチャートなんていう前時代の遺物みたいなものも、まだあるが。
逆に言うと、料理、飲食店というのは、星の数で判断できる程度のものだ、と捉えられているとも言える。
ガッツのある店のオーナーや料理人なら、そのことに怒るべきではないか(とっくに怒っている人もいるのかな)。
まあ、知能指数とか、貯金の額とか、家の広さとか、数字で比較したくなるのも、人のさがではありますが。
しかし、くだらない。自分で判断しろ、と思う。
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「今日の嘘八百」
嘘六百七 勘違いして、横浜ゴムが「ヨコハマタイヤガイド東京版」を計画中だそうだ。