横綱の品格

 帰国した朝青龍の殊勝な態度を見て、「本当は反省してないだろ」とか、「上手くつくろっているだけだ」とか、その手の悪口を言う向きがある。


 わたしには、もちろん、どうなんだかわからない。


 昔から朝青龍には、横綱としての品格がどうの、という話がついてまわる。
 しかし、横綱の品格って、いったい何なのだろうか。


 ふるまいや言動の品位、気品のことを言うのなら、歴代の横綱だって、必ずしも品格は備わっていなかったと思う。


 引退した後のふるまい、言動を見ると、北尾は別格としても、輪島、千代の富士若乃花貴乃花、いずれも品格が備わっているとは言い難い。
 してみると、彼らは横綱時代、猫をかぶっていたのか。とりあえず問題を起こさないように注意していただけなのか。それって品格と呼べるのか。


 のか、のか、のか、の三連符で疑問に思うのである。


 それとも、風格のことか。
 だとしたら、少なくとも土俵上の朝青龍はとても風格がある。白鵬にも風格があるけれども、まだ朝青龍には及ばないと思う。


 今の大関陣の中で、魁皇には年の功とでも言うべき長者のおもむきがあるが、その他の大関達に風格は感じられない。


 朝青龍には、不動明王の如き風格がある。とてもいい横綱だとわたしは思っている。
 何しろ、強い。立合い前の振る舞いが美しく、カッコいい。客を楽しませる。花がある。負けたときでさえ絵になる。


 何より、ここぞというときの集中力は、他に例を見ない。あの集中力だけでも綱を張っている価値はあると思う。


 まあ、土俵の外では子どもっぽいところもあり、やんちゃなようだ。
 場所前の出稽古で豊ノ島に技をかけて大怪我させた、なんていうのはひどい話で、さすがにやりすぎだと思う(わたしが豊ノ島を気に入っているせいもあるが)。
 しかし、その他のことについては、せいぜいが朝青龍と親方、朝青龍と協会との問題であって、それほど騒ぐことでもないのではないか。


 相撲というのは芸能だ。
 いつから、横綱審議会なんていうのが、中学校の先生みたいなツマラナイことを言い出すようになったのか(船村徹先生、あなただけはわかってるはずですよね?)。


 マスコミやそのしっぽに捕まっている人達は、今はわーわーバッシングしているけれども、見ていてご覧。何年かして、朝青龍が衰えて引退したら、手のひらを返したように惜しむに違いないから。


 いい加減なんスから。小錦横綱になるならない、ってときだって、ひどかったんスから。

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「今日の嘘八百」


嘘六百八 NHKの調査によると、琴欧洲の取り組みを見た視聴者のうち、約3割がなぜかちびっ子相撲を思い出すという。