サムライ

 時折、「私はサムライでありたいと思っている」などと言い出す人がいる。


 もちろん、侍でありたいといっても、百姓を「下郎、そこに直れ」とケ転がし、女と見れば刀に物を言わせてかどわかし、蔵前通りで夜な夜な吉原通いの宿駕籠を捕らまえては御用強盗を働く、そんなピカレスクな私でありたい、と願っているわけではなかろう。


 勧善懲悪、神社仏閣、武士は食わねど高楊枝。弱きを助け強きをくじき、親には孝、主には忠、義のためには一身を犠牲にしようとも完爾として笑みて去る、天っ晴れ、ニッポン男児の鏡たるベシ、なんていう、もの凄いことを言いたいのだと思う。


 ま、しかし、江戸時代以前の侍なるものがどんなものだったか、どんな心境や性根で暮らしていたのか、実際のところは、わたしら(あえて、巻き添えになっていただくが)のほとんどが知らんのよね。


 じゃあ、なぜ、現代でリッパなサムライ像が信じられているかというと、いくらかは黒澤 明監督の「七人の侍」のせいじゃないかと思う。


七人の侍」におけるサムライ像とは、こういうものだ。予告編を元に、作ってみた(音が出るので注意)。


七人の侍(偽バージョン)


 くーっ、カーッコいいーっ。


 いや、自画自賛しているわけではなくて、元々、「七人の侍」も、その予告編も、カッコよくできているのよ。


 ま、しかし、こんな侍が戦国時代にいたとは思えない。


 義だの仁だのと、武家の社会に儒学的な徳目が入り込んだのは、江戸時代もだいぶ進んでからのことらしい。


 仁義礼智忠信孝悌、儒学の徳目とやおよろずの神への信仰を煮詰めて五日目のおでんみたいになってしまった滝沢馬琴センセイ(1767 - 1848)は、「南総里見八犬伝」の自序に、戦国時代に実在した里見八犬士のモデルについて、こんなことを書いているそうだ。


彼らは軍記に名が見えても、事実はほとんど判然としない。もちろん史書からの削除であろうが、類をもって想像するに、つまり「暴虎馮河」の勇でしかない。けだし戦国乱世の士風は武勇余って教養に欠けた。ただいたずらに異を唱え、奇を好んで、このような俗風をなしたのだ。ああ、野蛮、野蛮。(中略)要するに三綱の道なき乱離の世、行いキョウ梟(稲本註:キョウの字がパソコンにない)に似た彼らに、かりに紀伝実録があったとしても、見るに耐えないにちがいない。


(「八犬伝の世界」、高田 衛著、ちくま学芸文庫ISBN:4480089403


 馬琴センセイ、モデルに対してはボロカスである。
 しかし、わたしも、おおかた戦国時代の武士、特に首を獲って名を挙げるような荒々しい人達というのは、そんなところだったんじゃないか、と(いささか勝手に)思っている。


七人の侍」はもちろん、作り事、ファンタジーで、黒澤監督も別に戦国時代の理想のサムライ像を描こうと考えたわけではないだろう。


 しかし、できあがった映画がたいそう面白く、また、海外でも高く評価されて、「荒野の七人」のような翻案物までできた。
 コッポラやルーカスやスピルバーグが口を極めて褒めちぎるものだから、何かこう、同じ日本人として誇らしく、快く思えてくる。日本人としての誇り、などと簡単に口にする人に限って、えてして海外からの評価には弱い。


 でまあ、わたしらのほとんどは、武士の実態についてきちんとした知識なんか持っていない。
 だから、気持ちよさでいささかパーになりながら、ひょっとしたらああいう人達がいたのかもしれない、ああいうのが理想のサムライだ、なんて思い込んでしまうんではないか。


 そこを何とか踏みとどまって、そんなサムライの理想像あったのかしらん、と、「七人の侍」にいささか理性を付け加えたら、こんなふうになる。


七人の侍(理性的判断バージョン)


 これでは、映画が台無しだが。


 もちろん、ファンタジーとして楽しむなら、「七人の侍」は無類に面白い映画だ。


 また、現代の「サムライ」なる理想像は、「七人の侍」ばかりでなく、大量の時代劇(言うまでもなく、時代劇というのは現代劇である)、お芝居、時代・歴史小説、漫画、それらの源流となった講談、読み本から培われてきたのだろう。
 あたしらは、もう、そういうものにすっかり煮しめられている。


 だから、「サムライ」などと言い出すとき、我々はおおよそ、ファンタジーの世界で遊んでいるのだと思う。


 いささか尾籠で申し訳ないが、こんなのも作ってみた。


七人の侍(ついでバージョン)


 シィマセン、シィマセン。


 しかし、こいつが一番、想像がふくらむ気もする。

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「今日の嘘八百」


嘘五百三十 映画の息づまる展開に、いつのまにか窒息死していました。