5分刻み

 時間の捉え方、というのは人によって随分と違うもので、几帳面な人もいれば、ルーズな人もいる。


 あるいは、地域差もあるのだろうか。


 沖縄出身の友達は、東京に出てきたとき、「2時5分前にどこそこで待ち合わせ」という言い回しを聞いて、“そんな細かく……”と驚いたそうだ。


 もっとも、他の沖縄出身の人に、時間感覚について訊いて回ったわけではないから、沖縄で「5分前に待ち合わせ」が誰しも驚くようなことなのかどうかはわからない。


 職業・職種にもよるのだろうが、東京のサラリーマンは全般に時間の捉え方が細かい気はする。
 よく言えば几帳面だし、悪く言えば大らかさに欠ける。ま、あくまで何となくの印象だが。


 相変わらず、不確かなことばかり書いている。知識と熱意がないのだ。ご勘弁いただきたい。


 少し話は変わるが、今、日本に住む人の多くが、日常生活では、だいたい5分刻みで時間を把握していると思う。


 えーと、5分刻みでキチキチ行動している、という意味ではなくて、ぼんやりと「あと5分くらいで着くから」とか、「5分(10分、15分)くらい休憩しようか」とか、大まかに5分一区切りで時間を捉えている、という意味だ。
 あまり17分刻みで時間を捉えている人、というのはいない。


 なぜそうなったかというと、たぶん、たいていの時計の文字盤が5分刻みになっているからだろう。


 世の中の時計の文字盤が3分刻みになっていたら、あるいは実用性と合理性には甚だ欠けるが17分刻みになっていたら、我々は「3分(6分、9分)くらい休憩しようか」とか、「あと17分くらいで着くから」なんていう会話をしているのかもしれない。


 2時間単位でしか動かない時計が普及したら、どうなるのだろう。


 短針、長針、秒針はなく、針は一本きり。2時間に一度、カチッと動く。
 文字盤には、子の刻、丑の刻、寅の刻……と2時間おきの大まかな目盛りだけがあって、針が動くとき、寺の鐘がゴーンと鳴る。


 この時計では、午前11時1分も、午後12時59分も、午の刻に針が止まっているのだ。


 2時間に一度、針が動いて、鐘がゴーンと鳴ったら、「お。もうそんなか」なんてふうに大ざっぱに時間を捉えるだろう。♪鐘がボンと鳴りゃ〜サ〜。


 世の中、そんな時計が主流になったら、随分とのんびりした時間感覚で暮らせるんじゃなかろうか。


 まあ、GDPは大いに下がるかもしらんが。
 それ以前に、今となってはネズミのごとくせせこましくなってしまった、我がポンニチ民族。そんな時計じゃ、イラついてしょうがなさそうだ。

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「今日の嘘八百」


嘘五百二十九 安倍首相、表情が妙にぎこちないと思っていたら、左甚五郎の作だそうだ。