四天王の邪鬼

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 東大寺にある四天王像である。左上から時計回りに持国天増長天多聞天広目天広目天は法華堂の、その他三体は戒壇院のものだ。

 四天王像を前にすると、おれはいつも邪鬼が気になる。「邪鬼」であるから、邪(よこしま)なんだろうが、しかし、奈良時代から千数百年も踏まれ続けて、いささか可哀想だ。同情するおれの心が仏教では弱さなのだろうか。

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 多聞天に踏まれている邪鬼。表情を拡大してみよう。

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 悔しそうだが、反省や後悔の色は見られない。むしろ、いつか抜け出してやる、という意志を感じる。邪鬼の邪気は現在進行形である。

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 広目天の邪鬼。二匹(匹と数えていいのか、わからないけれど)を踏んづけている。

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 右の邪鬼は苦しいのか、悔しいのか。一方、左の邪鬼は黙然としている。もしかすると、踏まれているうちに悟りを開いてしまったのかもしれないが、あるいはただ寝ているだけかもしれない。

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 増長天の邪鬼はかなりひどいことになっている。頭を右足で、腹を左足で思いっきり踏んづけられているのだ。

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 左足で踏まれた腹は、たるみの部分にシワが寄っている。しかし、右足で踏まれた頭はもたげており、不屈の闘志を感じる。もっとも、増長天がぐりぐりと頭を足でもてあそんでいるのかもしれないが。そうだとしたら、増長天はいやなやつだ。

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増長天は得意げである。増長している。