エー、昨日の続きにございます。
近頃はこの、大変便利になりまして、山に行くといっても、クルマをブーンと1時間。それで目的地に着いてしまう、なんてふうになりました。
自然に親しもう! てなことを申しまして、お子さんを連れて森林教室やなんかに出かける。
ああいうのは見ていて面白いですな。リュックを背負って、水筒を肩にはすかいにかけて、「おい、タカシ、行くぞ!」。お父さんが一番張り切っている。
子どものほうはというと、面倒くさそうに「しょうがない。たまにはお父さんと遊んでやるか」。
どっちが親だかわかりませんな。
もっとも、山仕事をなさる方にうかがいますと、山をなめてはいけないそうで、どんな慣れた方でも霧にまかれたりして、迷うことがある。
そのうち、雨なんかが降ってきて、体が冷えてくると、体力がどんどん落ちていって、大変に危ないんだそうでございます。
ですから、そういう方に言わせると、自然というのは親しむものではない。恐れるものだそうで、なるほど、そうかもしれません。
ここに出て参ります平吉とお照、飢饉のため、親に山の中へと捨てられまして、帰り道が見つかりません。その晩は疲れて眠ってしまいました。
朝、目を覚まして、また帰り道を探してとぼとぼ歩き出しましたが、山は深くなるばかり。何しろ、何も食べておりませんから、このままでは弱り切って倒れるか、山の獣に襲われるか、心細い限りでございます。
すると、ちょうどお昼頃、雪のように白いきれいな小鳥が木の枝に止まって、とてもいい声で歌っております。あんまりいい声なので、平吉とお照はつい立ち止まって、うっとり聞いておりました。
小鳥は歌をやめると羽ばたきをして、ふたりを案内するように飛び立ちます。
平吉とお照は小鳥の後をついて参ります。
すると、急に開けた場所に出て、一軒の小屋の屋根に小鳥が止まりました。
ああ、やっと助かった、とふたりがすぐそばまで行ってみますと、この小屋がなんと、お菓子でできている。
お菓子と申しましても、この噺はあくまで翻案でございますから、和菓子でございます。
壁はヨーカン、屋根はモナカの皮にたっぷりとアンコが塗ってある。窓はというと、トコロテンに白蜜がかかって、トロトロでございます。
平吉もお照も、お腹を空かしているから、これはたまりません。
「わあ。こりゃ、すごいや。おらは屋根のモナカを囓るぞ。お照、お前は窓を食べな。よっと、手を伸ばして、と。うん、こりゃ、甘くてうまい。お照、そっちはどうだい」
「うん。トコロテンがつるっとして、ああ、おいしい。ああ、おいしい」
ここらへん、だいぶ無理がありますが、ご勘弁願います――。
すると、小屋の中から歌うような声がして、
「もりもり、つるつる、食べるぞ、食べるぞ。わたしの小屋を食べるな、誰ぞ」
子ども達は夢中で食べ続けております。
平吉は屋根があまりにおいしいので、大きなやつを一枚めくって、持ってきました。お照は窓のトコロテンをそっくり抜いて、座り込んですすり始めました。
ふいに小屋の戸が開いて、化けそうなくらい年をとった婆さんが杖にすがって、よちよち出て参りました。平吉、お照もこれには驚いて、手にした和菓子をぽろりと落っことします。
「わわわ、ご、ごめんなさい」
「やれやれ、可愛い子どもらだねえ。誰に連れられてここまで来たんかのう。さあさあ、入って、入って。何もしやせんからの」
婆さんは平吉とお照の手をとらまえて、小屋の中へと連れ込みます。
――見るからに怪しい。「何もしないから」と言って連れ込んで、本当に何もしないやつはおりませんな。エエ。
中に入りますというと、焼き饅頭だの、あんみつだの、きんつばだの、どら焼きだの、大福だの、ミルク金時だのが山のように用意されております。ふたりは食べるだけ食べて、はああ、と座り込みます。
「どうだの。満足したかいの」
「うーん、今度はお茶が怖い」
それは別の噺でございますが、エー、ともあれ、平吉とお照は餅菓子を延ばした布団にごろんと横になって、極楽にでも来ているような心持ちになりました。
この婆さん、うわべは親切そうに見せておりますが、正体はというと、山姥。子ども達が来るのを知って、怪しげな術で和菓子の家をこしらえ、おびきよせたんですな。
この山姥は年をとって目が霞んでおりますが、獣のように鼻が利いて、人間が寄ってくるのをすぐに嗅ぎつけます。
特に肉のやわらかな子どもが大好物で、手に入れると、煮て食べて、それが何よりのご馳走という恐ろしい化け物にございます。
明くる朝早く、子どもらがまだ目を覚まさないうちから婆さんは起き出します。
平吉とお照が真っ赤にふくれた頬っぺたをして、すやすやと眠っているのところへ来て、
「こら、とんだご馳走よの」
とほくそ笑みます。
そうして、平吉を痩せ枯れた手でつかむと、そのまま鶏小屋に運んで、ぴしりと格子戸を閉め切ってしまった。
気がついた平吉がいくら喚いても、どうにもなりません。
婆さんはお照のところに来て、無理矢理ゆすぶり起こして、
「この怠け者っ! 起きて、水汲め。兄さんは外の鶏小屋に入れといたぞい。何でもおいしいものをこしらえて、兄さんところに運べや。せいぜい太らせにゃあなあ。だいぶ、脂ののったところで、わしが食ってやるべさ。ケッケッケ」
お照は、わっと泣き出しますが、何をしたって、どうなるものでもございません。山姥の言いなりになって、料理を作っては平吉のところへと運びます。
平吉は、丸々太るよう、毎日、相撲部屋のちゃんこのようなものばかり食わされる。お照はというと、わずかな粥ばかり与えられて、山姥にこき使われる。
自分が作って運んだ料理で、兄は太る。太れば兄は食われてしまう。まるで、兄を山姥に食わせるために、働いているようなものではないか――お照は、運命の恐ろしさに、ヨヨと涙いたします。
ああ、平吉、お照の進退、ここに窮まれり。
哀れ、ふたりはこのまま食われてしまうのか。この世には神も仏もないものか。観音様、あなたはそこまで非情でいらるるか……。
この後、平吉とお照、知恵と勇気の大活躍で、見ン事、山姥を退治します。さァ、ここからが面白い!(パパン、パン)また、明日。
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「今日の嘘八百」
嘘五百十三 日本の家庭で最も多く死蔵されている物品はミシンとピアノだそうだ。