可愛い商品

 わたしは赤ん坊とか、子犬とか、元々可愛いものは好きだけれども、人工的に可愛く見えるように作ったもの、例えば、キャラクターグッズの類は苦手である。はっきり言って、嫌いだ。


 工事現場で変に丸まっちいユンボやブルドーザーなんぞを見ると、「ああ、男の汗が……」と失望する。だいたい、ああいう素人が近づいたら危ないものを、親しみやすい外観にしてはいけない。


 それにしても、いつから、なぜこんなふうになってしまったのだろうか。


 わたしがガキの時分、1970年代頃には、子ども向けの商品を別にすると、可愛いものなんてそれほどなかったように思う。


 生まれる前のことは、もちろん、実体験がないけれども、昭和三十年代頃の映画を見ても、大人の世界に「可愛い」なんていうものはなかったようだ。


「これ、可愛いでしょ」なんてセリフ、普通の大人は言わなかったんではないか。
 いい大人がみっともない、という感覚が、今よりも強かったのだと思う。少なくとも、男は黙ってサッポロビールであった。


 ……こうやって書いていて、まるで世を嘆いて道徳を説くジジイのようだ。どうせなら、とっととジジイになってしまいたい。
 ボケたふりして杖を振り回し、「可愛い」商品を「ええい、ここな不埒者めが!」と片っ端から破壊できたら、さぞかし壮快だろう。


 商品のデザインは全体の傾向として、子ども化、幼児化のほうへ向かっているように思う。また、大人もそういうものを持ち歩いて、平気でいられるようになってきている。


 もちろん、「いい大人がみっともない」という感覚は今でも残っている。
 例えば、中年のオッサンが(オッサンはたいてい中年だが)キティちゃんのネクタイをして会社に来たら、たいていの人はちょっとどうか、と思うだろう。


 しかし、このまま時代が進めば、やがてキティちゃんのネクタイも平気になってしまいそうである。


 ここから先は、例のわたしのいっこうアテにならない霊感によるのだが、大人の世界に「可愛い」商品が侵入してきたのは、市場ケーザイのハッテン、ということも関係しているんではないか。


 いろいろと競争の激しいなかで商品を売るには、人の心に取り入るのがいい。
 赤ちゃん、幼児、子犬、子猫を見ると放っとけない感覚というのは、多くの人が持っている。
 そこんところにつけいって、「可愛い」デザインの商品が増えたんではないか。


 あるいは、子どもが少なくなった分、その埋め合わせが来ているとか、子どもの頃からのものを引きずってもよいことになってきた、なんてこともあるのかもしれない。知らんけど。


 わたしはお菓子の家になぞ住みたくない。ヤメテクレ、と思う。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘五百十 クマのプーさんをあしらった日本刀が大人気だとか。