稲本喜則、四十一歳の絵である。一生懸命描きました。
小学生低学年くらいの女の子が落書きしそうな絵を描いてみたら、こうなった。
わたしは心の汚れた大人であるからして、計算して描いたところもある。“小さな女の子はこんなふうに絵を描くんではないか”と、あらかじめ言葉で考えてから、線をひいた。
簡単に説明すると、こういうことだ。
自分の描いた絵で語るのも何なのだが、子どもらは決して見たままを描こうとしない。
観察眼や技術の不足のせいで見たままを“描けない”のではなく、“描こうとは思わない”のだろう。
では、何を手掛かりとして描くかというと、子どもらなりに持っている“絵とはこういうもの”という概念、決め事と、多少の願望(足が長いとか、リボンしているとか)だと思う。
例えば、右上に赤い太陽を描いたが、日本の子どもは、昼間の太陽をよく赤く描く。大人も、“子どもの描く太陽はそういうもの”と思っている。
フランスに行った日本の小学生が昼間の太陽を赤く描いて、まわりから不思議がられた、という話を聞いたことがある。
見たままに捉えれば、昼間の太陽は白いからだろう。あるいは、フランスの子どもの頭の中には、別の太陽の色があるのかもしれない。
考えてみれば、絵画の歴史の中で、“見たままに描く”、“写実”というのは、一時代の、ある地域の、特殊な描き方のように思う。
各地域、各時代には、それぞれの絵の様式があり、その様式に従ったり、多少はみ出したりしながら絵の歴史は続いている。写実もひとつの様式だろう。
小学生低学年の女の子が、女の子を描くときの様式は、少女漫画やアニメ的絵柄の影響が強いようだ。
もう少し年齢が行くと、面長になっていく。目に星を入れる、という手法を誰かが始め、目の輝きというのはステキだから、その手法はあっという間に広まる。
あるいは、ちびまる子ちゃんのような簡略画のおかしみも理解されるようになっていく。
例えば、江戸時代の女の子が落書きするときの様式はどんなだったろうか。
お目めを四角にして、星を入れていたとは思えない。
やはり、浮世絵に描かれるようなスタイルがモデルになったのだろうか。
こんな感じの絵を地面に落書きしていたのかもしれない。だとしたら、渋いぜ。