みのもんた的な危うさ

 昨日の朝日新聞に、テレビ番組が政治をどう扱っているかについての記事があった。
 みのもんたがコメントしていて、これがなかなか興味深かった。


(稲本註:政治家には)限られた時間で簡潔に話して欲しいのに要点がはっきりしない人が多い。イエス、ノー、どっちなの? と聞いても、最後まではっきりせずにがんばっちゃう。当然、私も視聴者も歯がゆい。画面からその歯がゆさが伝われば、私の役割は十分でしょう。


 イエス、ノー、はっきり言えないことを悪いように言っているけれども、さてどうだろう。


 政治家がイエス、ノー、はっきりできないのには、いろんなケースがあると思う。
 しがらみがあって、という場合もあろうし、数十秒単位でまとめなければならないテレビという特殊な(異常と言ってもいい)メディアに慣れていない、という場合もあろうし、そもそも問題がややこしくて簡単に結論を出せない、という場合もあろう。


 例えば、日本政府がイラクに、石油資源の問題も含めて、これからどういうアプローチで接していくか、なんてことは、これ、簡単にイエス、ノーで語れることではないと思う。
 また、簡単にイエス、ノーで語るような政治家は信用できない。ろくに考えもせず、あるいは知識を持たずに人気取りをしているのではないか、と疑りたくなる。


 日本の政治家が白黒をはっきり言えないのは政党の看板があるから。政党政治にはうんざり。私の根底にあるのは、あなたはなぜ国会議員になったのという問いかけ。


 みのもんたは、政治家のしがらみを嫌っているらしい。しかし、上に書いたように白黒はっきり言えない理由には、もっといろいろあるだろう。


 また、白黒はっきり言えれば世の中をいい方向へ持っていける、とも限らない。


 極端な例だけれども、ヒトラー
 彼が当時のドイツ国民の多くから支持を集めたのには、いろんな要因が重なっているのだろうが、ひとつには演説が非常に明快だった、ということもあると思う。
 ヒトラーの演説の映像を見ると、白黒をはっきりし、強く、単純で、わかりやすい。


 だから、政治的な公平とか中立とか、私にはあまりなじまない。ダメなものはダメ。いいものはいい。判断基準は自分の63年の人生経験。そして毎日、正直にはじき出される視聴率。受け入れられなければ、反省します。


 こうまで堂々と言い切る態度には、皮肉でなく、感心する。


 しかし、言っている内容はちょっとどうかと思う。
 これ、言い換えれば、63年の人生経験を元にいい悪いは私が決める。視聴率が高ければ、そのいい悪いの判断は正しかったのだ、ということで、何とも危うい。


 視聴率が高い理由は、「判断が正しかった」からではなく、単に「面白かった」からである。


 本は百万部も売れれば大変なベストセラーとされる。
 一方、みのもんたが司会する番組は、毎日、何百万人も見ている。


 恐るべきことに思う。

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「今日の嘘八百」


嘘四百九十一 いい悪いは、みのもんたが判断することではない。わたしが判断することだ。