襲名

 相変わらずいきなり話を振って何だが、襲名という習慣、あれ、日本に独特のものなのだろうか。


 いや、例によって外国のことはよく知らないのだが、欧米でそういう話を聞いた覚えがない。
 同じ東アジアの中国、朝鮮でも例が思い浮かばない。


 ローマ法王が即位するとき、いくつかの名前の候補の中から選ぶという習慣はある。今の法王はベネディクト16世だ。しかし、これは襲名というのとはちょっと違うだろう。


 むしろ、昔のフランスのルイ○世、なんていうほうが襲名に近いかもしれない。
 太陽王と言われたのは、ルイ14世。日本風に言うと、14代目ルイである。
 16代目まで来て、断頭台で首と胴体泣き別れの憂き目にあった。


 日本の伝統芸能の世界では、襲名が広く行われている。


 歌舞伎の世界がわかりやすい例だろう。一昨年は勘九郎が十八代目勘三郎を襲名するというので、大きな話題になった。
 ああいう文字通りの意味での「お家芸」、世襲で技芸が伝えられていく世界では、一定の年齢になったとか、芸がある地点にまで至ったとか、その世界で十分なポジションを得た、という理由で大きな名前を継ぐのだと思う。


 一方、落語のほうでは、今は昔ほど襲名を重く見ていないらしい。
 いや、襲名自体は重いことは重いのだろうが、継ぐ側にさほどメリットがないようだ。


 現在の立川談志は七代目(自称は五代目)だが、「立川談志」という名前は元々、大看板ではなくて、中看板くらいだったらしい。「三遊亭圓楽」もそう。


 古今亭志ん朝は、よく父の古今亭志ん生の名を継がないのかと言われたようだ。
 本人も迷うところはあったろうけれども、「自分が『志ん朝』という名前をここまで大きくしたという自負もある」ということを折にふれて語っている。


 昔のように、寄席だけで食っていた時代ならともかく、今はテレビやなんかでタレント活動をして、そっちで名前を売ることが多い。襲名して名前が変わると、印象が薄くなって、損なのだと思う。


 例えば、わたしからすると、かつてテレビに出まくっていたせいだろう、橘家圓蔵より、前の名前の、月の家円鏡のほうが親しみ深い。橘家圓蔵というと、ちょっと遠い存在に感じる。


 わかりやすい例が春風亭小朝で、「小朝」という名前はいかにも軽い。
 といって、今さら他の名前、例えば、師匠の「柳朝」の名前やなんかを襲名すると、一般の人は顔と名前が一致せず、とまどうだろう*1


 つまり、落語家、特にタレントとして名前の売れている人の場合は、顔と名前で1セットになっているから、改名は基本的に損なのだと思う。林家正蔵(元・こぶ平)襲名のように、一大イベントに仕立て上げれば、また別だろうが。


 もっとも、小朝についてはわたしにちょっと考えがある。
 50歳を過ぎて「小朝」でもないだろうから、いったん、「春風亭中朝(ちゅうあさ)」を名乗るのだ。
 でもって、60歳くらいになり、芸ももちろんだが、権力の点でも落語界を牛耳るくらいの存在になったら、「春風亭大朝(おおあさ)」と改名する。80くらいまで行ったら、「超朝」になるのもいい。


 同じく、上方の桂小米朝は父の米朝が亡くなったら「桂米朝」を襲名。80になったら「桂超米朝」だ。


 まあ、しかし、これ、風刺ととってもらいたくないのだが、本当に名前を襲名したらいいと思うのは、国会の世襲議員だ。
 父の地盤を引き継ぐとき、一緒に名前ももらうのである。


 例えば、安倍総理なら「二代目安倍晋太郎」を襲名する。
 もっとも、安倍総理の場合は母方の祖父のほうを尊敬しているみたいだから、「二代目岸信介」を名乗るのもアリだと思う。


 いや、本当に風刺ではなくて。
 背負っているものなり、譲ってもらったものなりがわかりやすくなって、いいと思うのだが。

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「今日の嘘八百」


嘘四百九十 埼玉県の老人ホーム「ひよりみ苑」で、ビリーズ・ブートキャンプが突如、大流行し、重軽傷32名を出した。


*1:実際には、柳朝の名前はすでに他の落語家が襲名した。