あまりいいことではないのかもしれないが、わたしは、誰かについて考えるとき、年齢をひとつの尺度にしてしまう。
「へええ。若いのに大したもんだねえ」とか、「そんな年になって何やってんだ」とか。
本人にすれば、年なんざ関係ない、大きなお世話だ、だろうが、どうもこういうことというのは習い性で、ついやってしまう。
ジミ・ヘンドリクスとか、ジャニス・ジョップリンとか、ああいうロックの伝説の人達はたいてい早くに死んでいる。
どちらも死んだのは27歳のときだ。
もっとも、早死にしたから伝説になれた、というところもあって、例えば、スティーヴィー・ワンダーが1976年の「キー・オブ・ライフ」を出した直後に死んでいたら、それこそ、大変な伝説の人になっていたろう。
まあ、本人にとってどちらが幸せなのかは、また別の話だ。おそらくは、当時の神がかり的な才能を失っても、家族がいて、落ち着いて音楽をできる人生を歩めているのは幸せなんだろう。知らんけど。
五千円札の目の据わり具合が印象的な樋口一葉は、24歳で亡くなっている。代表作品とされるものは死の前の1年ちょっとの間に立て続けに書いた(といっても、短編ばかりなので、本一冊分くらいだが)。
同じく、どこか薄幸の印象がつきまとう滝廉太郎は23歳で死去。「花」(春のうららの隅田川、ってやつ)、「荒城の月」は21歳(何月に作ったかわからぬので、もしかしたら20歳)のときの作である。
豪快なところでは、アレクサンダー大王がいる。20歳でギリシアの北方、マケドニアの王に即位してからは、戦争に次ぐ戦争。
今の国名でいえば、ギリシア、トルコ、シリア、レバノン、イスラエル、エジプト、イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタンを征服して、インドに入りかけたところでとって返し(兵隊達がいい加減イヤになったらしい)、32歳か33歳で死んでいる。
わたしが気に入っているのは、アル・カポネとエリオット・ネス。「アンタッチャブル」で有名な2人だ。
カポネがシカゴのギャングのトップに立ったのは26歳のとき。裁判で有罪になり、刑務所に入ったのが31歳だ。
一方、ネスがカポネの捜査チームを結成したのも26歳のとき。
年齢的にはガキのケンカみたいなものである。
刑務所から出所後のカポネはギャングに戻らず、これという仕事にも就かず、梅毒のため、48歳で死去。財産はほとんどなかった、ともいう。
一方のネスも、役所の中でそこそこ出世をしたが、20代の頃の伝説的活躍に比べると今いちぱっとしない。3回結婚し、輸入会社の役員を務めたり、クリーブランド市長選で落選したりして、54歳で亡くなった。禁酒法時代にカポネと火花を散らしたくせに、後にアル中になったらしい。
2人とも、華々しさということでは20代後半でピークが来た。
しかし、その後も人生はそれなりに続いたわけで、もしあの世でカポネとネスが再会したら、「あの頃は若かったねえ。青春だったねえ」などとしみじみ語り合うのではなかろうか。
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「今日の嘘八百」
嘘四百八十九 日本文化の戦後最大の変化はボケとツッコミの日常への浸透である。