おれには割と年齢を基準に人を考える癖があって、そんなの本当はあんまり関係ないよなー、などと頭では考えるが、ついつい気にしてしまう。
おれは今、54歳で、自分でも年齢なりの重みや知恵がないことに笑ってしまうが、まあ、ぼんやり生きてても、自然と年はとるので、仕方がない。
いろんな人の年齢を調べてみると、なかなか面白い。
たとえば、夏目漱石。
明治の大作家、というか、今に至るまで高い評価を得ている漱石先生だが、「明暗」を書いている途中で亡くなったのが、49歳である。おれより五つも若い。
最初の本格的作品「吾輩は猫である」が掲載されたのが38歳のとき(満年齢による単純な引き算。月は考えない)だから、遅咲きの作家である。作家生活はせいぜい十年ちょっとしかない。
作品の重たさや肖像写真のイメージもあって、おれには永遠の年上というイメージだが、もはやずっと年下である。
あるいは、田中角栄。
首相官邸ホームページ, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons
郵政大臣になったのが39歳、大蔵大臣が44歳。これはいかにも早い。通産大臣を経て、総理大臣になったのが54歳。もっと年をとっていた印象がある。もっとも、安倍晋三が最初に総理大臣になったのは52歳のとき。明治まで遡ると、伊藤博文なんて44歳で総理大臣になっている。
田中角栄の年齢が意外と若く思えるのは、貫禄がありあまるほどあったからだと思う。人となりというか、本人のニン(人)によるところが大きいだろうが、戦争で上の世代の大物政治家が引っ込み、戦後、若くして腕をふるいやすい状況だったこともあるかもしれない。
笑ってしまうのが、アル・カポネ。シカゴでマフィアの組織を譲り受けたのが26歳。今の普通の会社なら若手社員の年齢である。その後、破竹の勢いでシカゴを制圧。脱税で刑務所に送られたのが(「アンタッチャブル」で描かれたストーリーだ)、32歳。人生の展開が早すぎる。
アル・カポネ、30歳のときの写真。
そのアル・カポネの捜査を指揮して追い詰めたのが財務省のエリオット・ネス。カポネの有名な裁判のときは28歳である。カポネも、エリオット・ネスも、ほとんど「シカゴの青春」である。
まあ、実際、人の年齢なんて活動とは大して関係がない。年齢が物を言うのは、もっぱら組織だった物事や秩序、あるいは形式が重視される状況や分野だと思う。