特殊相対的理論

 何だか、インチキ哲学みたいな、ややこしい話になってしまった。そんなに難しい話をしているわけではない。


 とりあえず、あらゆるものは相対的だと考えてみると、面白いよー。


 例えば、木からリンゴが落ちてきた、とする。


 我々は普通、「落ちてきた」と思うけれども、実はそうではない。リンゴから木の枝が離れて、地球がリンゴに向かってせり上がってくるのだ――と、考えてみることだって、できる。


 じゃあ、リンゴが2つ落ちてきたらどう考えるのだ、といえば、そりゃ、一方のリンゴから見れば、もう片方のリンゴはガンバって位置をキープしていて、地面のほうが持ち上がってくるのだ。


 雪が降る、というのはどうなのか、といえば、アナタね、雪なんぞどれも同じだ、まとめて降ってくると思ってるでしょ。それが人間の傲慢さというものだ。雪に対して失礼である。


 ある雪片から見れば、他のある雪片には一緒に地面が近づいてくるし、別の雪片はちょっとだけ横にのいたりする。


 要するに、誰に、あるいは何に、どこに、基準を置くことにするか、という問題なのよね。


 床にあったカバンを持ち上げる。「持ち上げる」という言い方は、知らず知らずのうちに床を基準に置いている。
 カバンを基準にすれば、腕にちょっと力を入れて、カバンにひっつこうとするしつこい床〜地面〜地球を押し下げていることになる。案外、日常的にすごいことをやっているのだ、我々は。


 そういうふうに、つらつら日常的な出来事をひっくり返して考えてみると、だんだん、ヨッパラったような、ふわふわした心持ちになってくる。


 あたしは、結構、そういう心持ち、好きだ。
 とりあえず、これから床を、廊下を、道路を、どんどん後ろにケ飛ばして、飯屋をググッとたぐり寄せようかと思っている。飯からすりゃ、わたしの舌が、食道が、胃袋が少しずつ迫ってくるわけだ。

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「今日の嘘八百」


嘘四百二十一 リンゴが落ちるのを見たニュートンが「万有引力だ!」と叫んだ途端、他のリンゴもいっせいに落っこちた。