一般相対的理論

 タイトルは「相対性理論」ではなく、「相対的理論」である。


 昨晩、ハタと悟ったことがあるので、ご報告申し上げたい。


 ガリレオが地動説を唱えて裁判沙汰になり、「あ、やっぱ、天動説」と宣誓したのは有名な話だ。


 その後、「それでも地球は動く」とつぶやいたというが、これはどうも本当かどうか怪しいらしい。
 さらには、その発言をとがめられ、「それなら私が動く」とくるくる回り出したという話もあるが、こいつはわたしのでっちあげだ。


 で、だ。
 天動説と地動説だが、これはどこに基準を置くか、という問題だろう。
 地球を動かぬものとして見れば天動説となり、宇宙(のどこか一点)を動かぬものとして見れば地動説となる。


 物心ついて初めて電車に乗ったとき、まわりの景色がどんどん後ろに飛んでいくのに驚いたことを覚えている。
 わたしは真面目に、外の世界が後ろに飛んでいくのだ、と信じた。大阪に行く電車だったので、「大阪がどんどん近づいてくる!」と思った。
「電車、マジ、すげえ」と感動した。


 天動説と地動説の違いも、この景色と電車の関係のようなもんだろうと思うのだが、じゃあ、天動説が間違っているかというと、あながち、そうとも言えないんじゃないか。


 地動説は、宇宙のどこかに絶対的に動かない地点があることを想定している。その地点から見れば、地球は動いている、ということになる。


 でもさ、そこが絶対的に動いていない、という証拠は、別にないのよね。たぶん。おそらく。知らんけど。


 地動説が支持されるのは、地球が動いていると仮定すると、いろんな天体の動きを簡単に説明できるからだろう。


 しかし、日の出、日の入り、月が出た出た月が出た、と言うんだから、天動説だって間違いではない。
 まあ、いろんな天体の動きの計算はものすごくややこしくなるんだろうが、やってやれないことはないはずだ。


 簡単だから合っている、ややこしい・複雑だから間違っているということはないわけで、だいたい、人間が絶対的、と思っているものって、実は仮定に過ぎないのよね。人間に理解できることなんて、たかが知れてるんだから。


 あらゆるものは相対的なのだ。少なくとも、たかが人間の理解が及ぶ範囲では。