こんなことを書いたのは、例のバージニア工科大学の事件のことを考えたからだ。
容疑者がテレビ局に送りつけた声明や写真を見る限り、あの容疑者にも、自分は特別な存在のはずだという英雄願望があったように見受けられる。
「タクシードライバー」のシーンに似た写真があることも指摘される。容疑者はマネたのかもしれない(証拠はない)。
あの容疑者も、妄想をふくらませていって、自分を英雄視するところまで到ったのではないか。あくまで憶測だけれども。
しかし、はっきり言って、あのテレビ局に送りつけた写真は、全然イケてない。
しかも、全然サマになっていないことに、本人は気づいていないらしい。妄想のゆえだろうか。
彼のメッセージは、誇大妄想で、自己中心的で、滑稽ですらある。自分を客観的に見ることができない人だったのかもしれない。
例えば、落語の「湯屋番」の若旦那みたいに、本人の妄想と現実とのギャップが大きいというのは、滑稽なものだ。
まあ、そういうことは誰にでもあって、色恋方面で勝手にいろいろ思い込んで、随分、格好の悪いことをした経験のある人も多いんではないか(あ、おれか)。
容疑者本人を入れて33人の死という重たさはある。しかし、あの容疑者の写真の滑稽さはもっと語られていいと思う。
なぜなら、「タクシードライバー」の主人公には憧れる人間が出てくるけれども、あの容疑者の滑稽さに憧れる人間はまずいないだろうから。
あのイケテナサが、妄想と現実とのギャップの滑稽さに気づくきっかけにでもなれば、ひどいことの中にも、いくらかはこれからにつながることがあると思う。
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「今日の嘘八百」
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