進化論というのは人を惹きつける魅力があって、これは世界が不思議だからではないかと思う。
カメレオンやアルマジロ、シュモクザメなんてのいうのは見るからに不思議だが、そこらにいる犬、猫、チョウチョ、もちろん、人間だって不思議である。
「なんでこんなことになってしまったのか?」という不思議の念が、進化論方面のにぎわう原動力だろう。
ちなみに、わたしの生活の通奏低音もまた、「なんでこんなことになってしまったのか?」であるが、それは関係ないですね。はい。
わたしが進化論というものを知ったのがいつだったかは覚えていないが、小学生の頃にはもう知っていた。
ガキであるから、恐竜やなんかの本で知ったのかもしれない。
しかし、生かじりの知識であって、進化論を証明する、という暴挙に出たことがある。
ガキの頃、家の近くに原っぱがあった。
昆虫なんぞいくらでもいて、わたしは毎日のように虫取り網を振り回しながら、ワーッと走っていた。あるいは、馬鹿だったのかもしれない。
特にショウリョウバッタが好きで、全体に直線的なところがスポーティでカッコよかった。
ガキがカッコいいと感じる昆虫というのは、昆虫の側からすると被害にあうということである。
あるとき、捕まえたショウリョウバッタを見ているうちに、「こやつを進化させることはできないか?」と、妖しの思念が湧いた。「水生の昆虫に進化させてみよう」。
ジャンプできないように足をもぎ、飛べないように羽をもいだ。シャープな躯体だけになり、よりスポーティな、いっそ未来的と呼びたい姿になった。
「根性で泳げるようになれ!」と、近くの川に放った。哀れなショウリョウバッタはそのまま流されていった。
そうして、ガキは、やむをえず泳げるようになった新種・水生ショウリョウバッタのはびこる川を想像して、悦に入った。
いやはや、残酷なことをやらかすものだ。馬鹿が生かじりの知識を得るとロクなことをしない、という実例である。
イノセントな美少年だったのだ。許してくれ。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘四百十九 夜な夜なショウリョウバッタの幽霊が出るのだが、今いち怖くない。