進化論と神様

 昨日に続いて、進化論の話。といっても、例によって、くだらない話になることは請け合います。


 進化論にはいろんなものがあるようで、おそらく、決定的な証明がムツカしいからだろう。


 例えば、化石を古い物から順に並べたところで、どういう生理的遺伝的生態的気候的地表的空中的水中的理由でこれこれこう変化したのだ、と証明することはなかなかできない。せいぜい、仮説を振り回すのが関の山だ。


 進化論を否定する強力な方法、というのもある。
 化石を並べて、「ほれ、これこの通り、生物は進化しているではないか」と唱えても、「いや、それは神様が天地創造の七日間のうちに、最初から化石としてお作りになったのだ」と言われれば、これはなかなか理屈で太刀打ちできない。


 神様、最強。いや、ホント。


 さらには、神様的進化論というべきものもあって、「使命を受けたやつが魚になった」、「使命を受けたやつが陸に上がって両生類になった」、「使命を受けたやつが羽ばたいて鳥になった」などと言い出されると、これも完全な否定は難しい。


 まあ、神様が出てくると、あらゆることが可能になってしまうから、これ以上は考えないことにする。