流行

 流行、ってのは、いったい何なのだろう。


 まあ、簡単に言えば、萩原の名前のほうだ。


 ……あ、お客さん、帰っちゃダメですよ、帰っちゃ!


 どうも昔から流行というものにからきし興味がなくて、弱る。
 まわりがその手の話になると、あらぬほうを眺めながら、何とか頭の中で四次元空間というものを想像しようとする。この間なんぞ、もう少しで成功しそうだったのに、次元の隙間から半鐘が鳴り響いた。おじゃんになった。


 ま、しかし、わざわざ避けて通ろうとするんだから、まんざら意識してないわけでもないのだろう。
 あるいは、流行が世を覆うほどになると、自分でも気づかないうちに流行に染まっている、なんてこともあるのかもしれない。


 流行、特にファッション方面のそれの面白いところは、流行に乗っている写真を何年か後に見ると、馬鹿みたいに見えることだ。というか、まんま馬鹿だ。


 例えば、わたしの世代だと、10代の頃にチェッカーズ・ヘアなるものをやったことのある男もいるだろう。今、当時の写真を見たら、赤面しながら笑うしかないのではないか。


 わたしの母親は今、60代だが、20歳の頃の写真を見せてもらったことがある。
 何と呼ぶのかわからないが、長ーい髪を頭の上でとぐろを巻くように重ねていた。屑籠を逆さにして頭に乗っけたようなヘアスタイルだ(わかるぅ?)。


 こちらとしては笑うしかないのだが、それも何だか失礼な気がして、弱ったものである。スズメ忠と鳴き、カラス孝と鳴く。鳩に三枝の礼あり、というやつだ。


 昔、流行に乗っていた人、あるいは乗っていた自分、というのはなぜ馬鹿に見えるのだろうか?


 ただし、流行の感覚が一回りするのか、たまに、非常に気恥ずかしかったものが、案外、よく見えてくることもある。


 1970年代の「ディスコ・ブーム」なるものの火付け役、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」なんて、踊りといい、ファッションといい、トラボルタといい、長い間、大笑いするしかない代物だったのだが、今は一回り、あるいは二回りくらいして、なかなかいい感じである。


 ノスタルジーの範疇に入るからだろうか。
 ビージーズもなかなかよいよ、今、聞くと。何なら、カラオケで歌ってあげましょうか。え、別にいい? ア、ソウ。


ア、ソウ

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「今日の嘘八百」


嘘三百七十一 膨張宇宙というのは、外から見ると、風呂の中の屁なのだそうだ。そのうち、パチンと来るらしい。


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