ま、しかし、本来、イセエビにはイセエビの了見、花魁蜘蛛には花魁蜘蛛の了見があるわけで、本当のところは、たかだか人間の了見ではわからない。
うちの親父なんてのはもう、エー、決してあの飛行機というものは――「あれは、飛んでるのは、何か人間が錯覚してんだ」と、そう言ってました(場内爆笑)。「紙で折った飛行機飛ばして、すーっと落っこちるのが、鉄の塊、おめえ、飛ぶわきゃねえだろ」。そう言われてみると、そんなような気がしないでもないです。ねえ。
「空を飛ぶというのはあれは鳥の領域なんだ」、と。「鳥が飛ぶんだ」、と。「人間は地べた歩いてりゃいいのに、領域を侵すということは鳥に失礼だからよくない」、なんてことをね、これも親父が言ってた言葉なんですけど、妙なことを言いますな。
(「蔵前駕籠 - 落語名人会20 古今亭志ん朝」、SONY RECORDS、ASIN:B00005G6T4)
同じ伝で言うと、イセエビの了見を人間の了見で推し量るのも、領域を侵すようで、イセエビにいささか失礼な気がする。
イセエビからすると、「勝手に決めつけないでよ」といったところではないか。
いやまあ、イセエビにはなれぬ身。今の「勝手に〜」みたいに、人間の了見で想像するしかないんだけども。
多少は、せいぜい人間の了見で見てんだ、と、頭にとどめておいたほうがいいようにも思う。
ま、「失礼」なんて話も、あくまで人間の了見から出てくる話だから、イセエビの了見を想像してみると――ンー、ぐるぐる頭ン中が回って、ますますわからなくなって参りました。
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「今日の嘘八百」
嘘三百六十八 豆腐も食われると甚だ痛い思いをするので、中でもベジタリアンが憎くてたまらないという。