古今亭志ん生という人は、動物を使ったギャグが得意で、例えば、こんなのがある。
その頃の蜘蛛はみんなこの、肩書きがあってネ。中で花魁蜘蛛(おいらんぐも)なんてのはいいですよね。大っきくて、手をぱーっと両方張っていて、手の股ィ、こう、珠が付いてましてな。光ってる。目なんぞぴかっとしておりまして、巣を張って、下のこのお尻のほうはね、桃色と黄色なんてのがありまして、こうやってる花魁蜘蛛の、そのきれいってェのはない。だから、ドブの中なんぞひょいと覗いてみると、花魁蜘蛛が、ひゃっとこうやってやって、「寄ってらっしゃい」。
(「疝気の虫 - 古今亭志ん生落語ベスト集(6)」、日本コロムビア、ASIN:B00005HSO9)
わたしが二十代の頃、カセットで聞いて、志ん生の衝撃を初めて食らったギャグである。
それはともかく、花魁蜘蛛の考えていることなんて、人間にわかるわけがない。わかるわけがないところで、蜘蛛の了見になってみるから、可笑しいわけだ。
動物愛護というのも、多分にこういう、人間が動物の了見になってみてるところもあるんじゃないか。
競走馬を擬人化して思い入れを抱く、なんていうのにも似たことを感じる。
一方で、人に苦痛を与えるのはいかん、という人間世界の約束事や、人が苦しんでいるのは見ちゃおれん、という感情を、動物世界にまで広げているところもあるんだろう。