戦争ができる国

 憲法の9条の改正の話とか、軍事関連の法律の話になると、よくわからなくなる。


 ある意見を聞くと、ああ、そうかな、と思い、別の意見を聞くと、それもそうかもな、と思う。
 千々に乱れる男心。でもないか。要するに、馬鹿なのだろう。


 が、まあ、中には、ンー、それはどうだろう、という意見もある。


 例えば、「戦争ができる国にしてはイケマセン」という類の意見がしばしばそうで、ま、その主張自体はいいのだ。
 ただ、「これまで日本は戦争ができない国だったから、素晴らしい」とか、「戦後、日本は一度も戦争をしたことがない。そのことを世界に誇るべきだ」となると、そう簡単な話でもないだろう、と思う。


 日本は「(割と)戦争ができない国」である反面、「戦争をしてもらう国」でもあるからだ。


 具体的に言うと、米軍の存在が大きくて、実際に戦争をしてもらったことはあまりないけれども、「そういう物騒なやつがいざとなると出てくる」という脅しは効いてきた。


 でもって、脅しのほうをかなりの程度、米軍に任せて、経済発展に注力してきた、というのが、まあ、大ざっぱではあるけれども、戦後の日本のやり方だったろうと思う。
 そこんところは、どういうふうに話をコロがすにしろ、カンドコロだろう。


 こういう書き方をすると、「それじゃあ男(別に女でもいいが)がすたるから、日本はもっと防衛力を強化しましょう。自主独立の軍事に向かいましょう」と主張したいみたいだが、そうではない。
 どうすりゃいいんだかは、よくわからんのだ。


 まあ、あんまり勇ましい意見は、ギワクのマナザシで眺めておいたほうがいいとは思う。


 勇ましい意見というのは、おおかた、度胸が据わっている人の意見か(1)、勇ましさに酔っているか(2)、あんまり丁寧に考えていないか(3)、のどれかだろう。
 1の場合は、たいていの人はいざとなると度胸が据わらないから、ついていかないほうがよい。2、3の場合は危なっかしい。


 平和国家バンザイ論も、自主独立防衛論も、気持ちいいからウケるのだろう。しかし、気持ちよさで物事を進めるというのは、こういう話については危ないと思う。

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「今日の嘘八百」


嘘三百六十九 外務省を大阪に移転したら、急に交渉ごとがうまく運ぶようになったという。


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