正体見たりして

 しかしそれでは話が終わってしまうので、わたしの思いつきを書いておく。ちょっと長くなるかもしれません。


「昔はよかった」という類の話がある。同じ伝で、「昔の人は立派だった」というのもある。
 返す刀で、今の時代はなっとらん、とか、最近の若いやつは、なんて話になる。


 まあ、こういう話は、過去が安定しているから、できるのだと思う。


 現在とか、未来なんていうのは、何が起こるかわからない。不安定だし、不安だし、心配だ。


 一方、過去はおおよそ確定していて、嫌な部分は記憶の作用で漉し落とされるから、もっぱらいい部分が残る。
 過去は優しい。もう終わったことだから、都合のいいように語ることもできる。


 亡くなった人についても同じで、話し手の都合のいいように語れる。


 昔は、葬式では故人を讃え、酒の入る通夜では「いや、言っちゃあなんだが、ホントはネ」と悪口のひとつふたつも出たそうだ。
 もっとも、最近は通夜もナントカ・センターやなんかで葬式化しちゃったから、あまりそういうことはないようだが。


 いずれにしろ、故人についてはいつも欠席裁判である。


 ここらでちょっと、一休み。