昔に戻って、もう一度人生をやり直したい、とは、人間、誰しも思うことである。
え、思わない? ア、ソウ。
新機軸、リンクを使った駄洒落である。スンマセン。
ンー、何の話だったか。ああ、人生をやり直す、という話だ。
わたしの場合は、過去の失敗を思い出したり、現在の不具合について考えたりすると、ふと、「ああ、あの時点に戻ってやり直せたらなあ」と思うことがある。
ま、しかし、仮にそういうことが可能だとしても、1つの条件によって、ハナシは大きく変わるだろう。
現在、持っている知識、記憶を、過去に持ち帰れるかどうか、だ。
もし持ち帰れないで、まっさらの状態で舞い戻ったとしたら、再び同じ過ちを繰り返すことになる。失敗なり、悩みなりをもう一度味わうわけで、これはなかなかシンドいのではないか。
一方、現在の知識、記憶を持ち帰れるのなら、いくらかはマシなふうにできるのかもしれない。
中島らもが何かの対談で、「大人の知識とテクニックを持って、小学校時代に戻んねん」というようなことを語っていた。
それは素敵だ。人生、桃色である。
ま、それは置いとくとして、さて、現在の知識、記憶を携えて過去に舞い戻ったとしたら、実際、どんなものなのだろう。
例えば、テレビを見ると、「ああ、この人、今は元気だけれども、もう少ししたら死んじゃうんだよな」と思う。
ロッテがなかなか好調なシーズンを送っているときも、「でも、優勝できるのは30年後なんだけどね」と知っている。
若い頃の清水健太郎が「失恋レストラン」を歌って、女の子達(当時)からキャーキャー言われている。ケッと思いながら、「この後、シャブで何度も捕まるんだけどね」とひとりごつ。
これはこれで、なかなか生きづらいのではないか。人生、先に何があるか知らないから、やってけるところもあると思うのである。
だいたい、ガキの頃に戻ったら、また受験だの、就職活動だの、部長の自慢話が続く退屈な会議だのをやり直さなければいけない。これはいかにも面倒くさい。
せっかくマラソンで折り返し地点を過ぎたのに(あるいはもう40km地点くらいなのかもしれないが)、またスタートから走らにゃならんのか、と思うと、がっくり来る。
してみると、凡人はただ前を向かってたらたら歩くのがよいようで。
人の一生は重荷を負ふて遠き道をすっ転ぶが如し 徳川家康則
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「今日の嘘八百」
嘘三百三十七 天国にもゴキブリがいるのだとか。