土と内臓

 

 

 人間の腸の内と外を(靴下を裏表にするように)ひっくり返すと植物の根のようになり、植物の根の内と外をひっくり返すと人間の腸のようになる、という着想に、読んでクリビツテンギョウ(びっくり仰天)した。

 人間の小腸には腸絨毛(ちょうじゅうもう)と呼ばれる繊毛のようなものがあって、栄養を取り込んでいる。植物の根っこには根毛(こんもう)と呼ばれる繊毛があって栄養を取り込んでいる。どちらも、細い毛のほうが消化液や土との接触面積が広がって効率的に吸収できるので、そういうふうに進化したのだろう。

 ・・・とまあ、そういう形的なことは考えてみればなんとなくわかる。しかし、この本の中心的話題は、腸あるいは根と、細菌やバクテリアなどの微生物との関係だ。

 植物の根っこのまわりには微生物がたくさんいて、植物に有用な代謝物を作り出している。腸の中にも微生物がたくさんいて、動物に有用な代謝物(吸収しやすいかたちにした栄養素など)を作り出している。それを植物は根で、人間や動物は腸で吸収して生命を維持している。

 植物に必要な養分も、動物に必要な栄養素も非常に多様であって、それらは多様な微生物が働くことで賄われている。

 案外とこのことの研究というのは新しくて、この頃わかってきたことがだいぶ多いらしい(わかっていないこともまた)。科学が非常に進んでいるように勘違いされがちな現代だが、自分の足もとというか、腸もと、根もとのことがわかっていないわけだ。

 人間について言うと、微生物の中には病原体になるものがあって(いわゆる病原菌)、命救わねばの娘、というわけで微生物は殺すべき、という固定概念が長い間強かった。抗菌グッズや殺菌系商品が氾濫しているのは「細菌=ヤバいもの」という意識が蔓延しているからだろう。人体のために細菌類を殺すのが抗生物質だが、抗生物質は有用な、あるいは中立的な細菌も殺してしまう。結果として健康を損なうこともある。人間に有害なオオカミを駆除したら、鹿が大量に増えて植物を食べつくてしまった、という話にも似ている。

 植物の側でも、農薬などで有害な細菌や雑草、虫などを殺してしまえ! という考えは強く、おれが富山の凄まじい美少年だった子供の頃も、ヘリコプターなどで派手に農薬散布をしていたものである。農薬で確かに有害なものは死ぬのだが、同時に有用なものまで死んでしまうのが難しいところである。

 この頃、多様性、ということが人間社会やあるいは企業などでも言われる。多分にイデオロギー的なことも含まれているが、人間の腸や植物の都合でいうと、イデオロギー抜きに微生物の多様性は必須ということであるらしい。腸活とかプロバイオティクスなどと呼んで、乳酸菌やビフィズス菌を摂ることが勧められるが、おそらくコトはナントカ菌を一種類とればよい、ということではないようだ。腸の中でも根っこのまわりでも多様な微生物が相互に物質を交換したり食べたり食べられたりという複雑な関係を結びながら、全体としては動物や植物の役に立っている(逆に動物や植物も微生物の役に立っている)。

 ワシらは微生物という肉眼では見えない生物達が支配する世界の軒下三寸で、どうにか生きさせてもらっている、というのが正しいのかもしれない。