父とは今、ごく普通に話しているが、三十代の前半までは何となく気が置ける感じがしたものだ。クラシックも聴けるようになったことと関係があるのかどうか。
今でも別にクラシックが好きというわけではない。
クラシックの中にも、いいと感じるものはある、という程度である。
試しにベートーベンやシューベルトの交響曲を聴いてみると、やたらと深刻なので、「あ、おれ、遠慮しときます。ハイ」と思う。少なくとも今のわたしにはいらない。
クラシックを嫌う人は多い。
例えば、イギリスのポップ・フリークの作家ニック・ホーンビィ(「ハイ・フィデリティ」が映画になった)がエッセイ「ソングブック」に書いている。
[稲本註:クラシックを]きらいな理由は(少なくとも心を動かされないのは)、教会にいるみたいな気持ちになるからだし、少なくともぼくの耳には、一日や一週間や人生をかたちづくるささいな感情を聞かせてくれないからだし、バック・ボーカルやベース・ラインやギター・ソロが聞こえてこないからだし、クラシックを好きだと言っている人の多くがほんとうは音楽なんて(そして文化なんて)ちっとも好きじゃないからだし[稲本註:この後も悪口雑言が続くが略]もうこれ以上ほかに「いい」ぼくの音楽なんて必要ないからだ。オナラをしながら悲鳴をあげているようなスピード感のあるすばらしいサックス・ソロが聞こえてくれば、それで充分。
「ソングブック」(ニック・ホーンビィ著・森田義信訳、新潮文庫、ISBN:4102202153)
こういう感じ方はよくわかる。
わたしも、クラシックの曲から生活に沿うような感情を聴きとったことはないし、つきまとう「権威」を鬱陶しく感じることがある。
そうして、「権威」を(本人のいない場で)悪口雑言でやりこめることは、楽しいことだ。
だから、やっぱり、ベートーベンにはいてもらったほうがいい。あの人は生真面目で、とことん深刻そうなところが、得難いキャラクターだ。