先日、大阪へ出張に行った空き時間に、アダチ龍光のビデオを見たくて、難波のワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)に立ち寄った。
アダチ龍光は戦前〜昭和40年代頃まで活躍した手品師。戦後の東京の演芸界では大御所であったらしい。
立川談志のCDに漫談と対談が収められており、これが大変に面白く、ずっと気になっていた。
越後訛の訥々とした喋りなのだが、客席は爆笑に次ぐ爆笑。機知、皮肉、しかしそれが嫌味に聞こえない人柄のよさ。スマートさ。
マギー司郎やナポレオンズのようなしゃべりの芸には、アダチ龍光が大きな影響を与えているのではないか。いや、知らんけど。
立川談志が非常に敬愛していて、「もし、今、『オイ談志、俺がどんな芸人にでも逢わせてやる。誰に一番逢いたいか』といわれりゃ、迷わずいう、『アダチ龍光』と。」、「私の一番尊敬した色物(稲本註:寄席の手品、曲芸、漫才などのこと)がアダチ龍光先生です」とまで書き、語っている。
ところが、この人の映像はほとんどないらしい。それがワッハ上方のライブラリーにあると知って、見にいったというわけだ。
情報元はここのページ。
ワッハ上方にはアダチ龍光のビデオが2本あった。1本は無言で手品をやっているもので時間は数分。これはちょっと残念。
もう1本は桂米朝司会の寄席中継で、こちらはきちんと高座の一部始終を残していた。最晩年の映像だが、独特の越後訛の喋りも楽しく、わたしとしては大満足であった。
同じ番組の、続く柳家三亀坊という老芸人の「立体紙芝居」があまりに馬鹿馬鹿しく、可笑しく、静かなライブラリー内でケタケタ笑ってしまった。
切り絵を使った紙芝居を全身で熱演して(こんな書き方してもわからないですよね)、客の腹をよじらせた。若き日の米朝師匠も快さそうに笑っていた。こういう偶然の出会い、発見というのはうれしい。
おそらく、古い演芸の映像資料というのは、よほど売れた芸人以外はほとんど残っていないし、現在も残すべきという感覚はないだろうと思う。演芸というのは“高尚なもの”ではないからだ。
聞けば、ワッハ上方は大阪府の施設で、橋下知事は廃止か移転を考えているらしい。
大阪府の行政にわたしがどうこう言う筋合いはないけれども、資料については何らかの形で残し、閲覧できるようにしておいてもらえると有り難い、と思う。
→ ワッハ上方
山田風太郎「人間臨終図巻III」の宮武外骨の項にこんなことが書いてある。
明治以来、政府を揶揄し、官憲を嘲罵する新聞、雑誌を出しつづけて、入獄四回、罰金十五回、発売禁止十四回という履歴を持ち、中野好夫から「言語を絶した大叛骨」と評された宮武外骨は、しかし還暦の年の昭和二年から東京帝大の「明治新聞雑誌文庫」の事務主任となった。もはや自分の余生は、明治の新聞、雑誌の蒐集と保存に捧げるためのみにある、と考えたからである。大地震で壊滅した東京より地方から探し求めて、彼は老いた肩にリュックをかついで尨大(ぼうだい)な量を運びこんだ。権威主義の東大教授たちが紙屑と冷笑したこれらの新聞、雑誌が、のちには明治研究の貴重な資料となる。
演芸についても、映像資料として“とりあえず残しておく”ことは大切だと思う。
後の学術研究のためというのもあるが、新しく出てくるであろう芸(人)の種ということもある。
何より、ある時代のある場所で人の情動を動かした、豊かな出来事を追体験できるのは素晴らしい。
駄文であれ、こういうことを書けるのは、ワッハ上方に映像資料があり、山田風太郎が宮武外骨について書き残してくれたからであるし。
戦前〜戦後に滅びかけた上方落語が現在の隆盛に至ったのは、桂米朝が文献から古い噺を掘り起こしたおかげも大きいだろうし。
よく知らないのだが、東京の演芸の映像を残す仕事をしているところって、あるのだろうか。
わたしに私財があれば、投げ出したっていいのだが。
誰か、おれに私財を300円で売ってくれ。
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「今日の嘘八百」
嘘六百七十二 現在の文化状況を伝える端的な例として、とりあえず村上ショージと上島竜平のビデオだけでも後世に残すべきである。