余はいかにしてクラシックを嫌いになりしか〜その2

「クラシックこそ、正しい音楽である」と信じ込んでいた、鼻持ちならないガキのわたしであったが、小学校6年生のとき、転機が訪れた。


 学校から帰ってテレビをつけると、何やら愉快な格好をした楽団が陽気な音楽をプレイしていたのだ。
 そのときは知らなかったが、ディキシーランド・ジャズというものだった。


 何だ何だ、と見入って、この世にこんな楽しい音楽があったのか、と思った。
「世界は日の出を待っている」、「タイガー・ラグ」と、曲名を今でも覚えているのだから、当時のわたしには相当、インパクトがあったのだろう。


 これこそ、暗黒の世界(とあえて言う)に生きていた美少年にとっての、まさに日の出であった。


 ジャズ・フェスティバルの中継だったらしく、その後にいくつかのバンドが登場し、完全にノックアウトされた。


 百科事典で「ジャズ」を引いてみると、そこには見るからに格好いいプレイヤー達の写真が載っていた。
「イカすぜ」と、まだ第二次性徴も迎えていないガキは思った。


 ジャズと入れ替わるようにして、クラシックを毛嫌いするようになった。
 極端から別の極端へ、という気もするが、アンテナの指向性が極めて狭かった、ということなのかもしれない。


 その後の音楽遍歴はくだくだしく書かないが、中学時代はジャズばかりを聞き、「悪い音楽」と思っていたロック(自分の鼻持ちならなさに、今、身悶えしている。ああん)に、高校時代、若き血潮が煮えたぎってしまい、大学以降はあれやこれやと聴くようになって、今はもうグダグダだ。


 クラシックを嫌いになった理由には、今思えば、父や兄に対する反発もあったように思う。ジャズを耳にしたとき、「わたしの」音楽を見つけたと思った。


 わかりやすいエディプス・コンプレックスだが、まあ、コロされなかっただけ、父はわたしに感謝すべきであろう。違うか。