余はいかにしてクラシックを嫌いになりしか〜その1

 長い間、クラシックとはほとんど無縁で来たけれども、実はガキの頃はよく耳にしていたのだ。


 父がクラシックや映画音楽が好きで、家にはその手のレコードが結構、あった。
 もっともクラシックといっても、「カルメン」とか「新世界」(大阪の地名ではないよ)とか、ハデで映画音楽調のものが多かったと思う。


 ヨッパラった父の、いい気分でステレオに向かって指揮していた姿が、今でもわたしのまぶたの裏に残っている――って、まだ父はピンピンしているけれども。


 母は特別に音楽好きというわけでもなかったが、情操教育はそれなりに心がけていて、兄にピアノを習わせていた。


 そのせいか、兄は父よりもう少し深いほうへ入っていき、小学校高学年から中学生くらいでシベリウスショパンを聴いていた。


 母はわたしにもピアノを習わせようとしたらしい。しかし、わたしは何しろ、「ウンコ、チッコ、バヒュ〜ン!」とわめきながらそこらの野っ原を駆け回っているほうが楽しいものだから、拒否した。


 当時はどういうわけか、ガキどもの間に「ピアノなんぞは、女のやることである」という思い込みがあって(今もかな?)、それも作用したかもしれない。


 惜しいことをした。
 もしあのとき、わたしがピアノを拒否しなければ、今、日本の音楽界はもの凄いことになっていたであろう(天覧演奏会で演奏中のピアニストが突然、「ウンコ、チッコ、バヒュ〜ン!」とわめきながら、そこらへんを走り回るのである)。


 ごく小さい頃に、「こどものためのクラシック」か何か、そういうLPを買ってもらったことを、よく覚えている。
「金婚式」とか、「ユーモレスク」とか、その手のわかりやすい曲が入っていた。


 何しろ、自分専用にLPレコード(もしかして、今の十代の中にはわからぬ人もいるのではないか? ヒュー)を買ってもらう、ということが初めてだったから、ヨロコんで聴いていた。可愛いものである。


 わたしだって、昔は素直で正直な少年だったのだ。よく桜の木を斧で切り倒しては、「お父さん、僕がやりました」と報告していたものである。


 そんな家庭環境だったからか、あるいは誰かに吹き込まれたのか、恐るべきことに、小学生の頃は「クラシックこそ、正しい音楽である」と信じ込んでいた。


 ヤなガキである。後ろからケッてやれ。


 続きは明日。乞うご期待!
 でもないか。


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘二百六十七 本当の嘘つきはめったに嘘をつかないが、正直者はめったに真実を語らない。