風刺

 風刺というのは皮肉の一種で、世の中の風潮やら政治やら、その他大なるものをあてこするものだ。


 新聞が、一コマ漫画や川柳欄でよく使う手法である。明治時代の新聞の、オカミに対抗する気分が、流れ流れて今に至っているのだろうか。


 しかし、明治時代は知らないが、今の新聞の風刺にはあまり面白いものがない。卑屈に見えたり、ただ嫌味なだけだったりする(自分のことはプット・オン・ザ・シェルフ、棚に上げるよ)。


 何かをやっつけよう、批判してやろう、という意図ばかりが強くなると、風刺はつまらなくなるようだ。


 あくまでわたしの感覚だが、笑いなり、気分の沸き立ちなり、意気地・気概なりが少なくとも五分、あてこすりが多くても五分のバランスでないと、心には響かない。
 できれば、七分三分か八分二分くらいは、ほしい。いっそ、十分零分でもかまわないが、それではただの冗談か気勢になってしまう。


 さっき書いた「売家と唐様で書く三代目」というのは、あくまで皮肉であって、風刺ではない。


 しかし、憲政の神様こと、尾崎行雄は、戦時中の昭和18年、翼賛体制を批判する演説で「売家と唐様で書く三代目」と言い放ち、昭和天皇への不敬罪に問われたそうだ(昭和天皇明治維新から数えれば三代目である)。


 こう来ると、日本がまさに落ち目になりつつある時期だ。もの凄い風刺である。
 ちなみにそのとき、尾崎咢堂先生、御年八十四歳。


 もっとも、のんきな今の時代にエピソードとして聞くから、大した気骨だ、などとのんきに感心していられるのだ。当時の空気の中に身を置いたら、「売家と〜」がどう耳に響くかはわからない。


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「今日の嘘八百」


嘘二百三十 「それでも地球は回る」とつぶやいたガリレオは、聞きとがめられて、裁判やり直しになってしまった。