その生き方は何か

 郵便受けにマンション販売のチラシが入っていた。


 チラシにしては厚めの紙に、女性がふたり、モノトーンで映っている。母と娘だろう。落ち着いた、ちょっとばかり高級そうなイメージ。


 美しい明朝体で、こんなコピーが書いてあった。


日吉本町でしか叶わない、生き方がある。


 爆笑した。


 多少、説明が必要だろう。


 わたしが住んでいる日吉本町は、ごく普通の私鉄沿線の街だ。
 駅にはスーパーがあり、商店街には個人商店か小規模なチェーン店が多い。


 先日、ビデオ屋と薬局が一軒つぶれた。電気屋のおやじはいつも暇そうに座って、新聞や雑誌を読んでいる。とんかつ屋の娘さんは、わたしが行きだした頃はまだ幼稚園か小学校低学年くらいだったが、もう高校生になった。


 5分ほど歩くと商店街が終わり、住宅地になる。建て売りもあれば、高そうな家も、安普請の家もある。
 見上げれば、電線と電話線の網が町を覆っている。


 日吉本町でしか叶わない生き方があるとは、今まで気づかなかった。


 どんな生き方だろう、日吉本町でしか叶わないとは。
「あそこんとこの角で、金物屋を開きたい」とか、そんな生き方だろうか。


 この広告は、「本町」といういかにもローカルな名前を入れてしまったところが痛かった。


 イメージで人を踊らせるところが、自分で様式に踊ってしまった感じである。しかも、ズボンを穿いていないことに気づかないで、いい気で踊っている。


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「今日の嘘八百」


嘘二百三十一 裁判で地動説を否定されたガリレオは、「それでは私が回る」と言い出して、弟子達を慌てさせた。