建築と時間

 解体修理中の唐招提寺金堂で、創建時に描かれた花柄の文様が見つかったそうだ。
 なかなか派手なもので、平安時代以前の建築で、外側を装飾した例は他にない(見つかってない?)という。


 唐招提寺の金堂はわたしの好きな建物だ。
 堂々と骨太で、無駄がなく、落ち着いている。訪ねたとき、いかにも学問の場といった佇まいに、感動した覚えがある。


 しかし、発見された文様からすると、奈良時代の創建当初は、もしかしたら花柄で彩られたハデハデな建物だったのかもしれない。
「落ち着いている」だの、「いかにも学問の場」などというのは、建ってから千数百年も経たうえでの、手前勝手な感想である。


 唐招提寺よりもっと古い法隆寺にしても、同じだ。
 今、法隆寺に行くと、その風格に打たれるものがある。神さびた空気(寺だけど)すら感じる。


 しかし、あれは日本で、中国伝来の木造建築法を取り入れた、ごく初期の建物である。創建当時、近くに似たような建物はなかったはずだ。


 誰かが言っていたのだが、当時の周辺住民は、突如、現れた変ちくりんな建物群を見て、「何じゃ、こりゃ」と驚いたはずだ。


 現代なら、建設反対運動が起きて、「法隆寺建設絶対反対」とか、「斑鳩の景観を守れ」とか、「聖徳太子は即刻、建設を中止せよ」とか、張り紙されるところである。


 いわば、当時のブランニュー。特に五重塔なんてスーパーモダンなビックリ建築だったに違いない。


 建築物というのは、だいたい、できた当初はギラギラして、どこか乱暴なものだ。それが、時代が経つにつれ、日に灼けたり、木材が変質したりと、自然からの浸食を受け、周囲になじんでいく。
 わたしは、これを、「自然との和解」と呼んでいるのだが、どう? ちょっとブンガク的じゃないッスか?