一般論だが、建築物は、時代が下るにつれて、下品になってくる。
我々との間の時間が近く、俗っぽく見えるからだろうか。「和解」の時間がまだ足りないのだろうか(しかし、イカすね、この言い方)。
わたしが気にくわない建築物に、東大寺大仏殿がある。
東大寺大仏殿(Photo by (c)Tomo.Yun)
1階の屋根の真ん中、曲線状の、もうひとつ屋根を付け足したようなところは唐破風と呼ぶ。江戸時代の建築様式だ。
まあ、現代の大仏殿は江戸時代に再建されたものだから、唐破風があってもおかしくないのだが、見るたびに「風呂屋じゃないんだからさー」と思う。
同じ東大寺で鎌倉時代に再建された南大門と比べると、大仏殿の俗っぽさがよくわかる。
東大寺南大門(神戸観光壁紙写真集より)
まあ、こういうのは時間だの、「和解」だのの問題ではないのかもしれない。時間が経っても、下品なままのデザインがあるのだと思う。
例えば、東京タワーや通天閣は、できた当初は乱暴な存在だったろうが、今ではすでにノスタルジーの対象になっている。もう乱暴なふうには見えない。
しかし、建ってだいぶ経つのに、いまだひとり、世界に抵抗を続けているタワーもある。
そう。あのお方。京都タワーである。
どどーん。
これほど有名で、これほど一等地にあって、これほど困ったものだと思われていて、これほど「ないこと」にされているタワーも珍しいのではないか。
もし取り壊されることになっても、反対運動はまず起きないだろう。
京都タワーが、もし千年の後に残っていたら、その時代の人にどう受け止められるのだろうか。
法隆寺の五重塔になれるかというと――厳しそうだ。
まあ、現代の下品さを象徴する建造物だから、ある意味、「貴重な文化遺産」にはなるかもしれない。
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「今日の嘘八百」
嘘二百二十三 冥王星によると、自分がこれほど脚光を浴びる日が来るとは考えていなかったそうだ。なお、脚光が冥王星に届くまで、5、6時間かかったらしい。