ペーソス

 日本では、「ペーソス」というものがあると、作品なり役者なりの評価が上がるようだ(「日本では」と書いたものの、諸外国の事情は知りません)。


 人生の哀感、なんてものが、格を上げるらしい。


 上で書いた三人の映画を、ウェットな順に並べると、


 渥美清の映画>森繁久弥の映画>植木等の映画


 として、まず間違いないだろう。


 渥美清はご存じの通り、国民栄誉賞だし、森繁久弥も「何だか知らんが偉い人」として扱われている。
 しかし、植木等は、かつての活躍が伝説的にはなっているものの、ふたりに比べれば、世間一般の位置づけは低い。「ペーソス」がないせいではないか。


 わたしは、泣き泣きの人間ドラマや、人生の哀感がそこはかとなくにじむ、なんてのも嫌いではないが、ちょっと食傷してしまうことがある。


 別にペーソスなんかなくても、面白ければ素晴らしいじゃないか、と思う。


 実生活では、何事もさらりさらりと薄味がいいと思っているから、そのせいもあるだろうか。


 その点、昭和三十年代の植木等のカットビぶり、なーんにも背負わなければ、にじませもしない華やかさは素晴らしい。奇跡的ですらある。
 明るい薄っぺらさも、とことんやれば、人を感動させるところまで行けるのだ。