わかっちゃいないぜ

 植木 等が亡くなって、いろんな話が語られる。


 無責任男を演じていたが本当はとても責任感のある男だったとか、三重県の寺の生まれで古風で律儀な人だったとか、芝居の稽古の2時間も前に来ていた、とか。


 身内、知り合いがそれを語り合うのはいいが、メディアやイッパン大衆(雑な言葉だね、しかし)が、それをもって植木 等を素晴らしいとするのは、違うだろ、と思う。


 ま、その芸を考えるというんなら、そういうエピソードを知っておくのはいい。


 しかし、身内、知り合い以外が、植木 等を悼んむなら、あのパーッとした明るさ、見事なまでの深みのなさを褒め称えろ、と思う。


 コメディアン・植木 等と、彼を最初にプロデュースした青島幸男の素晴らしさは、カラッとした明るさ、ドライさ、計算されたヤケッパチ、そして泣きなんぞケラケラ笑いながら軽くぽーんとケトばした爽快さにあった。


 憂き世を浮き世にすり替えて、ウキウキ浮き名の色男、それが絶頂期の植木 等の魅力だったのだと思う。


♪スイスイス〜ダラダッタ、スラスラスイスイス〜イ。


 この文句、しかし、凄いね。植木 等がハデに売り出したときの「世渡りイメージ」を、擬音だけで表現している。この頃の青島幸男は天才だったのだろう。


 植木 等を楽しんだ人は、生前、大して気にもとめなかった人間・植木 等を悼むな。コメディアン・植木 等を褒めよ称えよ、と思う。