ワル

 少し前に、近頃、昔の日本の喜劇映画を見ている、と書いた。だいたい、週1、2本のペースで見ている。


 見ていて気づいたのだが、有名な作品やシリーズの主人公には、必ずといっていいほど、「ワル(悪)」の要素がある。


「ワル」といっても、主人公によって、いろいろだ。


「社長シリーズ」の森繁久弥は、スケベエである。
 妻にバレずにどうやって浮気するかに、いつも心を砕いている。スキあらば女の手を握り、約束を取りつけようとする。
 夫婦の倫理には外れるのだろうが、一種の愛すべき人物として描かれている。


 同じ浮気でも、森繁久弥が演じれば好色なエピソード、役所広司が演じれば心中に至ってしまうのである。


男はつらいよ」の寅さんは、テキ屋だ。


 テキ屋というのは(暴力団という意味ではなく)ヤクザで、初期の「男はつらいよ」には、土地の親分に仁義を切るシーンがよくあった。
 また、寅さんには元々、粗暴、野卑なところがあったのだが、シリーズが進むにつれ、そうした面は消えていった。「男はつらいよ」が「家族映画」に変わっていったからか、山田洋次監督が年をとったからか。


「幕末太陽伝」でフランキー堺が演じた佐平次は、そもそも一文も持たずに遊郭でお大尽遊びしたフテエ野郎だ。


 その結果、居残りのイノさんと呼ばれて、遊郭で働くことになるのだが、目端が利き、あちこちで小銭を稼ぐ。
 元々いた若い衆(男の従業員)はそのあおりで、客から小遣いをもらい損ね、佐平次を憎たらしく思っているが、佐平次は平気の平左である。


 いろいろ見たなかで、一番悪いのが「ニッポン無責任時代」の植木等だ。


 客観的に見れば、タダ酒、香典泥棒、上役を追い落としての出世、ソフトな恐喝、とまあ、実にワルい。
 しかし、「無責任男」という設定と、植木等の「ハッハッハ」という豪快な笑い声で全てオッケーということになってしまう。


 そのドライで陽気なやり方には、カタルシスを覚える。人気を呼んだ理由だろう。


 わたしの好きなシーンがひとつある。


 会社の屋上でバレーボールをしていた女子社員達が(クルマ社会の今では、考えられないことだ)、ボールを落としてしまう。
 ちょうど植木等が非常階段を降りていて、ボールをつかまえる。


 上から女子社員達の「投げてくださーい」という声が聞こえる。次の瞬間、植木等はボールを道路に投げるのだ。


 ストーリーには、なーんの関係もないシーンである。しかも、なぜボールを道路に投げたかというと、特に理由なんぞない。たぶん、そっちのほうが気分がいい、というだけだろう。
 植木等のハードボイルドなワルさにシビれた。


「拝啓天皇陛下様」の渥美清だけは、無知で善良な男だ。しかし、前にも書いたように、コミカルな演技や喜劇調の演出はあっても、ストーリーとしては悲劇である。


 ――とまあ、喜劇の主人公にはワルの要素が必要である、という説を立ててみたのだが、はて、わたしはなぜンなことを言い出したのか? というと、ただ思いついて、皆の衆、参ったか、という以外に、理由は見あたらない。


 ハッハッハ。ゴクローサン!!


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘二百十九 王子様から口づけされた眠りの森の美女は、寝起きで機嫌が悪かった。