史上最も有名な捨てゼリフは、ガリレオの「それでも地球は動く」ではなかろうか。
もっとも、本当にガリレオがそんなことを言ったかというと、かなり疑わしいらしい。後世の伝記作者による創作、という説が有力なようで、まあ、そりゃそうだろう。
この有名な言葉は、ガリレオが宗教裁判で地動説を捨てることを宣誓した後で言った、とされている。
小声でなら誰がそれを記録したのか、という問題があるし(後で自分で自慢した、という線も考えられるが)、大声でなら事態は一気に紛糾する。おそらくは、ぶりぶりの有罪となるであろう。
まあ、そんなことはどうでもよい。自分で書いておいて、そんなことはどうでもよいもないもんだが。
この「それでも地球は動く」には、現代でも通じる、あるいは現代だからこそ役に立つ、実用性がある。
人間、生きていくには、さまざまな妥協、ゴマカシ、ヤリスゴシ、ということをやっていかなければならない。
物事が複雑に絡み合う現代では、特にそうだ。
自分が正しい、と思うことでも、全体をうまく回していくためには、曲げなければならない場合もある。
それが大人になるっていうことさ。
と、書いてから、実は非常に赤面しているのであるが、そんなこともどうでもよい。
例えば、取引先に注文通り納品したのに、「この間言った変更が反映されていないじゃないか!」と文句を言われたとする。
実は、担当者が変更点を言い忘れたのだが、自分の責任にはしたくないものだから、ゴマカしているのだ。
ここで、「そんなこと、聞いてませんよ!」と言い返すのは、正論といえば正論、今のスリランカだ。
しかし、それでは今後の取引に影響しかねない。上司は、「まあ、まあ、イナモト君。ここは穏便に。ね。抑えて、抑えて」と、なだめる。
上司の言うこともわからないではないが、腹の虫は治まらない。
そんなときにオススメだ。うつむき加減で拳を握りしめながらつぶやくといい。「それでも地球は動く」、と。
若き血潮の中高生のミナサンにも、オススメしたい。
何しろ、ミナサンは若き血潮であるからして、殴り合ったり、蹴り合ったり、コンクリート・ブロックを振り回し合ったりすることも、多いだろう。
そうして、ボコボコにされて、全身打撲の状態で河原に仰向けになる、なんてことも、よくあるに違いない。青春の美しい一ページだ。
青い空、ゆっくり移動するお日様を見上げながら、鉄の味のする口元の痛みを我慢して、ぼそっと言うといい。
「それでも地球は動く」。
ただし、万引きで捕まった後はダメだ。
警察の少年係にこんこんと説教されながら、小声で「それでも地球は動く」。
それはとっても間違った使い方だ。
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「今日の嘘八百」
嘘百十三 悪いことをしたからバレるのではない。バレたから悪いことになるのだ。