とりあえずのココロ

 昨日、遊んだフレーズ、「とりあえず」というのは、いかにも日本的感覚のもののように思う。


 ったって、例によって、東南アジア・アンダマン諸島におけるお茶の間の会話とか、チリのプンタアレナス港の酒場における船乗り達の会話なんて知りもしないで、霊感で書いているのだけれども。


 和英辞典で「とりあえず」を引くと、“for the time being”“for the present”だそうだ。
 わたしは英米に住んだことがあるわけでなし、英会話もさしてできないのだが、英語の会話でこれらのフレーズを、日本語の会話ほど甚だしくは聞かないように思う。英文でも、そう頻繁には見かけない。


 試しに、Googleで「とりあえず」をフレーズで検索すると、85,200,000件がひっかかった。“for the time being”は7,660,000件。“for the present”だと2,400,000件。


 検索エンジンの仕組みも関係しているのかもしれないが、まあ、日本において「とりあえず」というフレーズが、英米におけるそれらに比べて、桁違いに使われている傍証くらいにはなるだろう。


「とりあえず」には2つ意味があって、ひとつは急ぐ感覚のもの。たちまち、とか、たちどころに、といった意味で、たぶん、こちらのほうが古い。


 そこから応急処置的な感覚が言葉にくっついて、現在の、さしあたって、とか、一応、という意味が生まれてきたのだと思う(いや、本当のところはどうだか知らないヨ。受験生のミナサン、真に受けないように)。


 でまあ、現代の日本では、大変に愛用されている。


「とりあえず、ビール」というのはよく出される例だが、会議でもよく使われる。


 つまり、会議を数時間やって煮詰まってしまい、出席者の頭ん中がぼーっとしてくる。
 そんなとき、誰かが「ま、とりあえず、今日はそういうことにしておきましょうか」と言い出すのだ。


 みんな疲れているものだから、「そうしましょうか」と、ずるずる会議室から引き上げる。あいまいな日本の会議、の典型である。


 このときに、「いや、この際、ビシッと結論を出しておきましょう」と言い出すのは、大変に嫌がられる。これから世に出る若人のミナサン、このことはとりあえず覚えておいていい。


 でもって、「ま、とりあえず、今日はそういうこと」にした内容が、そのまんま結論になってしまうことがあるから、日本の会議はオソロしい。


 あとは、広い意味での婉曲表現として使われることもある。


「イナモト君、あの件、どうなったかな」と課長が言う。
 そのとき、角が立たないように、自分が出過ぎたふうに見られないように、「あ、とりあえずやっときました」と答える。


 これが美しい日本の会話である。嘘である。


 ま、課長の言う「あの件」が死刑執行だったりすると、いろいろ問題もあるわけですが。


 自分でも何が言いたいのかさっぱりわからないが、というより、最初から特に何かを言いたいわけでもなかったのだが、「とりあえず」の感覚、わたしは割に好きである。


 投げ遣りな感じとか、ガンバって突き詰めない感じがしっくり来るのだ。ノーベル文学賞が当たったら、「とりあえずの日本の私」という講演をしようと考えている。

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「今日の嘘八百」


嘘六百二十九 日本人が「とりあえず」を多用するのは、多神教だからである。欧米人があまり使わないのは一神教で狩猟民族だからである。